https://d1021.hatenadiary.com
http://d1021.hatenablog.com

『東洋の心』
P293

 およそ純真な魂を失はぬかぎり、世の辛酸をなめた人々が浅かれ深かれ必ず胸奥に蔵してゐる切なる願がある。それはできるならば一日も早くこの虚偽と汚辱とに満ちた煩はしい俗世間から衣を振うて、山高く水長き清浄の天地に落ちついて真実の人生を味ふことである。これを隠遁心というて無下に排斥し、人間は一生元気に活動すべきであると主張する者も少くないが、それは矯むるところある言でなければ、要するに俗人の我慢に過ぎない。心ある人々の願ふその求真の生活は決して卑怯な隠でも遁でもない。かへって風塵の中に真吾を没却して、とりとめのない多忙な労役に疲れはてる自己を救うて、清浄な自然の中に真吾を露出し、真実の人生に出直すことである。いかんせん世の中の罵絆は思ひのほかに煩はしく、自身また世間に未練多くして、容易にその願ひを果すことはできない。
 鉄梅翁はその点実に羨むべきものがある。翁は世間の人々が財産や地位や名誉を逐うて暮らすことを人生の大道と心得て、天地間の好風月・好書籍と没交渉に終ってしまふことが、いかに一生を枉却するものであるかといふことを早くから痛切に覚って、買山の計を純にめぐらし、さっさと世事をかたづけて、翁のいはゆる「衣巾三斗の塵を払って」、「雲棲竹隣」、「乾坤一散人」となられたのであった。余は翁を憶ふごとに、吾れすでに富の貧に如かず、貴の賤に如かざるを知んぬ。但だ未だ死の生に何如なるやを知らざるのみと歎じて、子女の嫁娶を畢るや、飄然五嶽に入って終る所が知れなかったといふ後漢の向子平を想像する。違ふところは子平が支那的隠逸なるに比して、翁はあくまで日本的な忠孝の士であり、死に至るまで「慷慨志猶存する」国士の風があったことである。