柳家三三 徹底した自己否定で磨く芸の端正 | アマデウスたち | ダイヤモンド・オンライン
そんな玄人好みの自分の芸を「嫌いだ」と、ばっさり切り捨てる。
古典落語の話の筋はおおかた、頭に入っている。だから、ネタの覚えも早いし、しゃべりがつかえることもなく、言葉を自在に操る。「でも、それだけで中身がない」。噺家の人間性、生き方がにじみ出るところに落語の味わいがある。
超人的な数の高座をこなすのは、体力的にも精神的にも自らを極限まで追い込んで、身についた技術や型を取り払い、生身の自分を引きずり出すためだ。それでもなお、その芸が端正さを失わないのは、天賦の才ゆえだろう。