チルドレン片山さつき、落選の意味 密着リポート「静岡7区」、無所属の城内実はなぜ勝ったか
「今、やっぱり、非常に地域性の強い選挙区なので、そこに浸透できるだけの組織が出来きらないうちに選挙になっちゃったねと。あれとあれが足りなかったねみたいな話を、みんなでしていました」
「逆風を肌で感じた瞬間は、実はないんですよ。人もすごく集まったし、どこのお祭りに行っても握手を求めてくる人はうちが一番多いしね。だけど、あの方たちがうちに入れなかったわけだから、やっぱり(選挙は)怖いよね。そう思います」
「(議員生活の)最初の2年間が役職優先で、やっと選挙のために地元固めができるなと思った時には、地域のうるさ方みたいな人が、ほとんど(相手陣営に)取り込まれちゃっていた。その人が『こうだ』と言っちゃうと、それを信じちゃうような方がこの地域には多い。だから票につながらない」
「やっぱり自民党自身にブレがありますよね。改革路線で行くなら行くで突き抜けなきゃいけないんだけれど、それが後退して、行きつ戻りつで、総理大臣が3人代わって。ああいう形で変わってしまうと、私たちとしてはフォローのしようがない。そういう中で政策を訴えるのが難しくなってきましたね」
「やっぱり我々の支援者ですね。もう自分でもその数を把握し切れてないんですよ。皆さんが人の盾となって、この選挙区に入ってくる民主の風を食い止めて、逆にどんどん城内の風に逆に変えていってくれたということです」
「要は、組織力だと思います。我々の後援会は応援すると何か予算を持ってきてもらえるとか、仕事が来るとか、そういう損得勘定で動くような人ではなく、本当に城内の政治姿勢、理念、政策に共鳴してくださっている方々ばかり。そういう意味では本当に、日本一の後援会、日本一の支援者だと自信を持って言えます」
4年前の2005年、総選挙で片山に敗れてからは、文字通りゼロからの出直しとなった。自民党を離れたばかりの城内に、支援者はいない。資金もない。秘書も雇えず、家族4人からの出直し。拡声器を片手に、徒歩で選挙区内をくまなく歩き、立ち、声をかけた。
「あそこは森林だよ。あんなところまで、せっせと行っていたんだから、すごいよねえ」と地元のタクシー運転手が言うように、浜松市北部、人口わずか3000人の水窪町などにも、足繁く通った。
そのうち、ボロボロになったスニーカーを履いて歩き続ける城内に、野菜を恵んでくれる農家が出てきたり、ボランティアで手伝ってくれる人が集まり始めたりした。選挙の「せ」の字もないのに、毎日「信念」を訴え続けるさまを見て、人が1人、また1人と結集する。
総選挙の文字が新聞に躍るようになった時には、後援会の登録者は数千人規模に膨れあがり、県内外から駆けつけるボランティアは100人を超えていた。日本一を自負する後援会組織は、市民の手による、完全な草の根ででき上がっていったのだ。
挨拶を終えた斉木は、険しい表情を崩さず、支持者と握手をして御礼を伝えて回った。「よかったね」「おめでとう」と声をかける支援者の中に、怒鳴り声で何かを言い、背中をバシッと叩きつける高齢の支援者がいた。
何と声をかけていたのか、聞いてみると、後援会で遊説担当の代表を務めると言う70歳の彼は、多少の酒臭さ混じりに、こう息巻いた。
「まだ35歳で若いじゃん。国会議員で出る以上、若いだけじゃダメなの。それ以上の精神力と気持ちを兼ね備えてなきゃさ、支持をもらえないじゃん。それが、城内との差になってるわけでさ。もうちょっと素直な気持ちにならなきゃいかんってな」
「東大卒は皆、バカ面。上から目線。それじゃダメなの。我々が住む地域の単なる代弁者なんだから。仕事がやれるか、やれんか、注意深く見て、能力がなければしょうがない。1年でも2年でも、それが分かれば支援はやめる。人材なんか幾らでも出てくる。はっきりしてますよ、私は」
http://d.hatena.ne.jp/d1021/20080225#1203937602
http://d.hatena.ne.jp/d1021/20090822#1250915214
http://d.hatena.ne.jp/d1021/20090714#1247560694