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平野貞夫 わかりやすい国会の話 第2話 日本で国会がつくられるまで

戦後最大の文明評論家大宅壮一は、こう語っている。


「議会制度をはじめ、明治初期の日本を風靡した自由民権思想は、万次郎のもたらしたアメリカ式デモクラシーとつながっている。つまり、漂流者万次郎がアメリカから持ち帰ったデモクラシーの一粒が、まず土佐でまかれ、それが日本的民主主義として成長し、明治22年憲法発布、23年の国会召集となって、実を結んだことになる」(昭和39年『欧米文化と初接触』)

 坂本龍馬の「船中八策」など大政奉還による議会制度論は、土佐藩で万次郎の情報や思想を河田小龍聞き書きしたものを、龍馬に伝えたことから始まっている。

 この使節団の随伴船として「成臨丸」が日本人独力で、太平洋の往復航海を成功させた。勝海舟福沢諭吉とともに万次郎が乗船していた。万次郎の欧米人の生活やデモクラシーの話が、その後の2人の活躍の原点となった。


 文久元年(1861)には、幕府は英仏など西欧六カ国に使節を派遣して、開港延期の交渉を行った。福沢諭吉らが参加し、精力的に政治制度などについて学び、成臨丸での万次郎の話をまとめたのが『西洋事情』で、日本人の意識の開明に役立った。