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日銀を追い詰めるだけか――民主党政権の“デフレ宣言”無策 | 辻広雅文 プリズム+one | ダイヤモンド・オンライン

 1990年代初頭にバブルが破裂してから日本経済は長期の低迷に陥り、私たちは戦後初めての金融危機とデフレ経済に直面した。この未曾有の危機が長引くなかで、金融政策もまた紆余曲折を辿りながら未体験ゾーンに突入した。緩和に緩和を重ね、短期金利は90年代初頭の8%台から2000年には実質ゼロに引き下げられた。翌2001年には量的緩和政策が導入され、06年まで続行された。日本経済はついに02年~03年に最悪期を脱し、景気は上向き始めた。


 では、究極の金融緩和政策が遂に効果を発揮し、景気を回復させたのだろうか。そうではない。ひと言で言えば、金融危機の再発防止には役立ったが、景気回復には極めて限定的な貢献しかしなかった」というのが常識的総括であろう。

 白川方明日銀総裁は2000年、日銀金融市場局審議役として弊社週刊ダイヤモンドに『金融政策は構造政策まで代替できない』(1月29日号)という論文を寄稿している。当時、日銀はゼロ金利政策に踏み切っていた。要旨は、以下の通りだ。


1.90年代の金融緩和は、日本経済を成長軌道に復帰させるほどには強力な効果を発揮しなかった。
2.金融政策が無力であったわけではない。未曾有のバブル崩壊後、何回かデフレ・スパイラルの危機に直面したが、短期金利を思い切って下げることによって何とか回避しえた(逆に言えば、その程度しか効果がない――筆者注)。
3.金融政策だけでなく、財政政策もマクロ経済の教科書に照らせばこれ以上考えられないほど積極化している。
4.それでも日本経済の停滞が続くのは、潜在的な経済成長能力が低下しているからだ。
5.潜在的経済成長能力を引き上げるには、産業界のみならず社会全体変化対応能力が必要である。
6.日本社会が変化対応力を身に付けるには、市場メカニズムの有効利用とともに法律、税制、会計、規則などの制度改革が必要である。
7.それが構造改革であり、金融政策は代替できない。金融政策は構造改革を行うまでの「時間を買う」ことしかできない。

むしろ、当時の政府・自民党は日銀への圧力を高め、日銀は翌年の2001年に量的緩和政策に踏み出していく。

物価下落こそが不況の原因であり、デフレを止め、反転させなければ経済回復はない。とにかく、マネーを供給せよ。デフレは貨幣現象であり、おカネをばら撒けば、止まる――それが、当の日銀(つまり、このときは白川氏の主張は日銀の主流ではなかったということになる)と量的緩和推進論のリフレ派といわれる経済学者の主張だった。

 おカネをジャブジャブにした割には、実際に市中に出回るおカネ(マネーサプライ)は増えなかった。ただ同然のお金を供給しても、金融機関のリスクテイク能力が低く、また、採算性の高い貸出機会が不足していたからだ。また、CPIもわずかに上昇したが、原油の価格急騰部分などを除けば以前とそれほど変わらなかった。

それでも、景気は回復したのである。

 当時、政府がデフレ克服宣言のタイミングを計れないまま、つまり、デフレ克服の確証をつかめないまま、景気は回復した。なぜか。長い期間をかけて、ストック調整が進んだからであった。企業からすれば過剰設備、過剰雇用の調整がようやく終幕し、金融機関から見れば不良債権処理が大きく進展し、需給ギャップが縮小したからであった。これが、今日の常識的総括である。

 デフレは経済を弱体化させるが、不況の主犯であるかといえば、疑問である。そして、白川論文の記述を借りれば、金融政策にはデフレ・スパイラルを回避する力はある。だが、日本経済を成長軌道に復帰はさせられない。金融政策は「時間を買う」効果はあるが、必要不可欠なのは構造改革なのである。

 02〜03年からの景気回復が戦後最長ではありながら、多くの人が実感を持ち得ない弱々しいものに終わってしまい、現在の日本の潜在的な成長能力が依然として低いまま――つまり、復帰すべき成長軌道自体が低い――なのは、金融政策や財政政策のマクロ経済政策に偏り、社会全体の問題発見、解決能力、変化対応力を身に付けるべく、構造改革を中途半端に棚上げしてしまったからである。

 例えば、英国でのインフレターゲテングは、政府が中央銀行に対して、目標は中期的な物価安定であることを明確に指示した上で、その範囲のオペレーションは100%任せるという枠組みである。


 翻って、日本で過去にインフレターゲテイング導入が議論されたとき、政府閣僚、学者が要求したのは日銀の短期的な数値目標の達成義務であった。彼等は日銀のコミットメントの効力を都合よく強調し、前述した貨幣供給量や物価上昇率の数値目標を機械的ルールとして課すことの有効性を語った。小泉政権時の竹中平蔵氏がその典型であろう。

 伝統的なマクロ経済政策は有効性を失いつつある――政府も国民も、この事実を理解し、受け入れることから、日本経済の改革は始まる。

http://d.hatena.ne.jp/d1021/20091207#1260145748