最下級の武士出身。独立独歩の性格と大言から、敵も多かった。最初の社員は故郷・土佐出身者が主流だった。ために海運会社を興した弥太郎が「国内を制し、海外勢を駆逐するのだ」と檄(げき)を飛ばしても、“過去”を知るゆえに面従腹背の社員が少なくなかった。
現状打破のため、弥太郎は外部から若く、優秀な人材を次々と迎え入れ、トップダウンを徹底させた。
「岩崎君は困難が増加するに従ひ、その精力はますます活動した。これが多くの難局を乗り切った所以(ゆえん)で、岩崎君の岩崎君たるところだ」。盟友、大隈重信の弥太郎評である。