客観的データなんて言うが、数字というのはそのままで現実を反映している、と考えるのがもう間違えている。大事なのは、把捉された数字の裏にどういう現実があるかに対する洞察力だ。洞察力がない人間は政治家をやってはならない。数字の裏には一人一人の生活がある。人間を数字で捉えるというのは、まさに私が批判する人間の道具化の第一歩だ。
日米同盟は対等な関係で堅持する。対等というのは、これまでのようにアメリカの言うなりになると思ったら大間違いだということだ。小泉時代のように、明治以来つちかってきた郵政ネットワークを、郵貯資産380億円をポンとアメリカに寄越せなんていう話はもう通用しない。
いまだにグローバリズムを掲げているマスコミや自称経済専門家なんてのもいるが、もう世界は方向転換しているのだ。G20で金融機関のいわゆる幹部の報酬の問題が俎上に上がった。「何をやったって良いのだ、勝った方が勝ち、金を握った方が勝ちなのだ、政府はその邪魔をするな」という時代は終わった。大企業、金融には社会的責任が求められるという当たり前の社会が到来したのだ。
アメリカはすでに舵を切った。日本も変わった。未だに市場主義原理主義を信奉している人間は、すでに自分たちもアメリカから見捨てられたことを自覚して、しっかりと反省した上で早々に宗旨替えすることだ。
もはや市場原理主義者など小さな波にすぎない。亀井静香という大波に飲み込まれることになるだろう。