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『今』を生きる

「今」を生きるとは、今ある自分を直視することであって、すでに過ぎ去った過去を美化したり、これからの未来に望みを託することでは決定的に不十分である

黒板に、過去の円と未来の円とが交錯する図を描かれ、その両者が重なる瞬間こそが「現在」であって、それが「永遠の今」であり、今を生かす「道」をしっかり歩めといわれるのです。

その歩み方についても、意識的にあせったりしてはだめで、とらわれない流れるような自然体を継続するためには、とくに「余白」の美と「間(ま)」のとり方が重要であり、それは富士山に雲のかかった絵のようなもので、東洋文化に通じるものがある

雲遮月
「至福の時」
「雲のかかるは月のため 風の散らすは花のため 雲と風とのありてこそ 月と花とは尊けれ」(熊沢蕃山)
河田一臼先生の墨場必携=3

「竹影掃階塵不動 月穿漂底水無痕」(月輪穿沼水無痕)
   出典:菜根譚
<竹影階を掃って塵動かず  月輪沼を穿って水痕(アト)無し>   
◎竹の影がきばはしをはらっても塵は立たず、
月輪が沼にうつっても水面にはその跡をとどめない。(俗念妄想を絶した境地)

禅文化研究所 白馬蘆花に入る

青山元と動かず、白雲自ずから去来す

両頭倶に截断して、一剣天に倚って寒じ

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