「民主主義の敵」という最大限の言葉でSEALDsを批判・非難したのに、肝心のSEALDsからもシンパ(あざらし?)反論がないのはなぜだ?
多分その非難の言葉が適切に選ばれているようには見えないのが理由だと思います
http://d.hatena.ne.jp/d1021/20151003#1443868520(次のフェイズに)
http://d.hatena.ne.jp/d1021/20151002#1443782473(事案の内容に即して個別的・具体的に検討することが必要。論理的な思考が身についていれば、自ずから文章も論理的に筋が通ったものになっているはず。)
http://d.hatena.ne.jp/d1021/20151001#1443695728(立憲主義で合意できず議論に必要な最低限のフレームが共有できない以上議論がかみ合わないのはむしろ当然)
怒り をやわらげる仏教の教え|仏教 釈迦 ブッダ 因果応報 仏教用語はこちら
「売り言葉に買い言葉」と言われますが、何か心外なことを
言われると言い返したくなるもの
逆に何も言い返さないと負けたと思ってしまう。
意地や我慢でもう後には引けない、そういう状態になって
怒りが、怒りを呼び、さらに大きな争いになってお互いを
傷つけ苦しむことになってしまいます。
そんな時どうしたらいいのでしょうか?
それは、何か、気に入らないことを言われても
受け取らなければよいのです。
釈尊は、おごそかに、偈(うた)で答えられた。
「智恵ある者に怒りなし。よし吹く風荒くとも、心の中に波たたず。
怒りに怒りをもって報いるは、げに愚かもののしわざなり」
本当に的を得た批判ならありがたく反省し、
的外れな非難中傷なら受け取らなければいいということですね。
お釈迦さまは
静かにこう続けられました。
「そうだよ。今、あなたは
私のことをひどくののしった。
でも、私はその ののしりを
少しも受け取らなかった。
だから、あなたが言ったことは
すべて、あなたが受け取ることに
なるんだよ」
『四十二章経』に「悪人の賢者を害するは、猶し天を仰いで而も唾せんに、唾、天を汚さずして、還って己が身を汚し、風に逆らって人に塵くに、塵、彼を汚さずして、かえって身に塵するがごとし」とあるのに基づく。