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ミルトン・フリードマン 「世界の機会拡大について語ろう」 | ダイヤモンド アーカイブズ | ダイヤモンド・オンライン

 日本についてはもう1点、強調しておかなければならない点がある。アダム・スミスの思想の一つの柱は、消費が生産の最終目的であるという考え方であった。われわれの政治上の問題のほとんどは、生産者の利益に必要以上に配慮し、消費者の利益をなおざりにしていることから生じている。このような問題が、日本ほど劇的なかたちで表れている国はほかにない。


 もっと一般的な問題としては、日本では政府支出の規模が拡大してきている。私は国民所得と比べた政府支出の比率を示すグラフと、日本経済の成長率を示すグラフとを作成してみた。日本の高度成長期には、政府支出の国民所得に対する比率は現在よりもはるかに小さかった。政府支出の比率が高まるにつれて、成長率は低下してきている。高度成長期には、日本の政府支出の割合は米国よりもずっと低かったが、今ではほとんど変わらない水準まで近づいている。

 私は公平性に関心があるからこそ、自由市場を提唱している。私に言わせれば、自由市場システムこそ、普通の人々がそれぞれの潜在的能力を最もよく発揮し、最善の生活を送ることができる世界を可能にする唯一のシステムである。政治的な自由がある国で、経済的な資源の利用が主として自由な市場を通じて組織化されていないような国は一つもない。『国富論』を著したアダム・スミスは、『道徳情操論』も書いていることを思い出してもらいたい。アダム・スミスもまた、道徳的、倫理的な意味合いから自由貿易と自由な市場を提唱していた。


 基本的には、好ましい世界をつくるには、それぞれの国が自国のことをきちんと管理することである。好ましい社会をつくるには、個人が自分のことは自分できちんとやるのと同じである。われわれ1人1人が、他の人々の同様な権利を侵害しない限り、それぞれの価値観に従って自由に自分の才覚や能力を発揮できるような仕組みをつくれば、そのような仕組みの下では、物質的な繁栄も人間としての自由も、共に謳歌できるだろう。