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1980年代前半の米国高金利、 後半のプラザ合意による円高を 演出したポール・ボルカーの恐るべき力|週刊ダイヤモンドで読む 逆引き日本経済史|ダイヤモンド・オンライン

 80年代前半の米国で高金利政策を主導したのがポール・ボルカー米連邦準備制度理事会FRB)議長(1927−)だった。ボルカーは現在のオバマ政権でも、2009年2月以来、大統領経済回復諮問委員会議長(Chairman of the Economic Recovery Advisory Board)を務める金融界の超大物である。

 1970年代は西側諸国をスタグフレーションが襲った。スタグフレーションとは、インフレと景気停滞(スタグネーション)の同時存在である。インフレを退治するために金利を上げれば不況が深くなる。したがってジレンマに陥っていた。とくに米国は1960年代半ばからインフレが続き、経済力の相対的弱体化が進んでいた。

 しかし、カーター政権下(1977−1981)、1979年8月6日にFRB議長へ就任したボルカーは、翌年からすぐに高金利政策を導入してインフレ退治に乗り出す。

米国はインフレ退治には成功するものの、ドル高による輸出不振などが響き、1980年代前半は貿易赤字財政赤字双子の赤字)に悩むことになる。

 高金利によってインフレ退治には成功したが、集中するマネーの動向は不安定になり、為替レートも揺れ動く。1982年後半に金融緩和へ舵を切るが、ドルは乱高下していた。そこで、各国が協調してドル安へ誘導することになった。これがプラザ合意である(1985年9月22日)。

 円は1年で2倍へ増価し、超円高となった。ドル価値で計る日本経済の規模も増大し、資本輸出も進む。輸出産業は不振となったが、1年後には円高不況を脱し、金余りのバブル時代へ突き進んだことは前に述べた。