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強制起訴と指定弁護士 -「小沢信者」の意味変容とメインストリ-ム

会見を聞いていると、小沢一郎の有罪を確信したから起訴したのではなく、検察審査会で強制起訴が決まっていたから、法令に従って手続きをしたまでだと言っている。であれば、起訴はもっと早くできていたはずで、これほど遅くなった理由がわからない。

この問題は、すでに小沢一郎政治資金規正法の問題ではなく、検察審査会の制度のあり方の問題になっている。

昨日は、小沢一郎側の弁護士である弘中惇一郎の会見もあったが、NHKの7時と9時のニュースでも、テレ朝の報ステでも、その模様が紹介されることはなかった。

無罪の結論は最初から決まっていて、目的は小沢一郎の政治的失脚なのだ。

小沢一郎を悪玉にして貶め、菅直人を善玉にして持ち上げる田舎芝居が、そろそろ飽きられて通用しなくなっている。

週刊誌の小沢記事の論調と傾向が少しずつ変わり始め、文春やAERAなどが小沢一郎寄りの特集を組んでいる。昨日の小沢一郎の会見で注目させられたのは、集まった記者の人数の多さである。前から小沢一郎の会見は記者が集まったが、どんどん増えている印象がある。小沢一郎を記事にすると売れるからであり、小沢一郎の最新情報を出さないと媒体が売れないからだ。

濃淡の程度の差はあれ、「小沢信者」であることが普通になってきた。標準の政治スタンスに変わりつつある。マスコミを批判し、マスコミが動かす政策路線を拒絶する者は、自然に「小沢信者」という大きな流れに身を入れているのだ。メインストリームなのである。

ネットの政治空間を観察して気づくのは、従来は左側の陣営に所属していた者が「小沢信者」の圏内に移動している現象と、右側の立場で論陣を張っている者が左翼批判の言動を自制し、「小沢信者」の圏域から左右対立の契機を消し、積極的に中立化させている営為である。

この二つの動きにより、小沢一郎の表象は政治のポショニングの「中央」にどっかと腰を下ろし、(マスコミ以外の)誰からも難癖をつけられない安定感のある存在になりつつある。

そうしたネットの状況を確認した後で、日経や朝日の論評を読むと、彼らがすでに普遍性を独占できなくなっている印象は免れない。説得力を失い、政治的な影響力を衰えさせている。

小沢斬りは裏目に出る。

http://d.hatena.ne.jp/d1021/20110201#1296564815
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