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『老子の講義』
P98

戸を出でずして、以て天下を知り、ようを窺わずして、以て天道を見る。其の出づること彌(いよいよ)遠ければ、其の知ること彌少なし。是(ここ)を以て聖人は、行かずして知り、見ずして名(あき)らかに、為さずして成る。

家を出て初めて世間を知り、窓をうかがって初めて天道を見ると考えるのが普通であるが、しかし一人の心は千万人の心でもあるから、近く思いを己れの心に致せば、必ずしも戸を出でずとも天下を知ることが出来、まどをうかがわずとも天道を見ることが出来る。否むしろ、己れの立場から抜け出ることが遠ければ遠いほど、世間を知ることが少なくなる。(これは昔は、天子が地方を巡守して民情を察し、役人が管内を視察して実情を知ると言われているが、それらの人々が、もし自分の心に求めるところがなければ、その己れの心から離れることの遠ければ遠いほど、民の実情は分からず、治道に疏くなることを述べたものである。)要するに、道は近きにあるものである。かかる訳であるから聖人は、戸外に出でることなくして知り、まどをうかがって見ることなくして明らかに察することが出来、更に今一歩進んで言えば、格別に人為を用いて事をなさずとも、無為にして成績を挙げ得るのである。