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幸四郎が文化功労者に決定

 3歳で初舞台を踏み(昭和21年5月東京劇場『助六外郎売の倅)、以来67年、「よく途中であきらめずに今日までやってこられた」と万感の思いを胸に秘め、「苦しいことを苦しいのみにせず、悲しみを悲しみのままに終わらせないで、苦しみを勇気に、悲しみを希望に変えるのが俳優という職業」と語りました。

 「正直言うと、楽ではなかった」「いつも崖っぷちを落ちないように歩いてきた」と、これまでの苦難を思いつつも「いろんな目に遭ったとき、どういう決断を下したが大事に思います」と振り返りました。

 歌舞伎以外の演劇でも数多くの出演を重ねている幸四郎だけに、作品をつくりながら夜明けを迎える日々が続き、「一日が28時間くらいあればいいのに」と思うときもあったそうです。「そこそこにやるのはやめ、徹底的してやる。妥協せず、ガチンコ勝負だから、なおさらつらかったのかな」と、自らの生き方に思いを馳せました。

 文化功労者となってからの今後について聞かれ、「私は"今"が好きなんですね。舞台は瞬間のものであって、二度と帰ってこない。今が本当に愛おしい、その積み重ねです」と答えた幸四郎。そのうえで、「九代目幸四郎がお客様にとって、いい形で残ってくれれば。それがすべてです」と言います。


 しかし、歌舞伎については少し違います。「私が<木の芽会>という勉強会をしていた昭和30年代後半から40年代頃、九代目團十郎、初代吉右衛門、六代目菊五郎を見て知っていた老優たちが伝えてくれた歌舞伎が、私の中に感覚的に残っています。そういう歌舞伎を残せたら」。それが、「本当に"いい古いもの"は古いままでも、いつの時代も新しいと信じて今までやってきた」という幸四郎の、今後に向けての思いのようでした。