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片岡愛之助 半沢直樹を地でいく「父の町工場」維持し続ける(NEWSポストセブン) - livedoor ニュース

 1972年、大阪府堺市にある船のスクリュー工場を営む家に生まれた愛之助。祖父が興したその町工場で父も働いており、隣接していた自宅に3世代で暮らしていた。

「家の近くには少年野球やサッカーのチームもなかったんです。それで5才の時、ご両親が友達ができるようにと松竹芸能の子役オーディションを受けさせたんですよ。それから毎週土曜、松竹芸能の稽古場に通うようになって、ちょこちょこドラマなどで見るようになりました」(近所住民)


 大阪・中座で初めて歌舞伎に出たのが小学2年生のとき。子供ながらに興味を抱いていた歌舞伎の世界、元来の真面目な性格から稽古に励んだことも大きかったが、彼には人を魅きつける才能があったのだろう。片岡秀太郎(71才)の目に止まった愛之助は、小学4年生の時、十三代目片岡仁左衛門さん(享年90)への弟子入りを勧められた。以降、「片岡千代丸」という芸名で本格的に歌舞伎を始めることとなった。

 そうして19才になったとき、愛之助秀太郎と養子縁組をした。

 そして、悲劇は突然訪れた。1999年に母が末期がんで亡くなり、翌2000年に今度は父がくも膜下出血で倒れ、他界したのだ。離れて暮らしながらも愛し続けた両親の立て続けの死。愛之助は悲しみに打ちひしがれる日が続いた。しかし、彼は再び立ち上がった。


「明日がないかもしれないと思ったら、今この瞬間が大事」


 そこから、さらなる努力の日々が始まった。踊り以外に、長唄の三味線、鼓、義太夫の稽古にも力を入れた。ひとつでも多くの舞台を踏もうと、どんな役にも喰らいついた。