汗と涙の壮絶レッスン その経験が大学受験支えた 元タカラジェンヌ歯科医 (産経新聞) - Yahoo!ニュース
兵庫県宝塚市の桝谷多紀子さん。宝塚大劇場を望むビルで歯科クリニックを開業している。首席で入団、春日野八千代さんの相手役を務めるなど活躍後、大学を受験し、歯科医師となったのは45歳のとき。60歳からは大学院に入り、医学博士号も取得した。
――ビルの8階にある「ますたにデンタルクリニック」の窓からは、宝塚大劇場の三角屋根が見えますね
桝谷 開業するなら、自分を育ててくれた宝塚のおひざ元でと願って選んだ場所です。青春のすべてがそこにありますから。毎日、自然と眺めてしまいますね。
――昭和41年から46年まで、「花園とよみ」の名で娘役として活躍しておられました
桝谷 私が在籍したのは、音楽学校の2年間を含めても7年弱と短いものでしたが、宝塚では大切なことを学ばせていただきました。音楽学校の入学時には50人中16番目だった私が、歌劇団の入団試験で首席になれたことは、その後の芸事とは異なる大学入試や、国家試験で何度も挫折を味わったときの心の支えになっていました。
――根っこの部分には宝塚時代があると
桝谷 宝塚にいる頃は、1度でほめていただいたことはなく、やり直しが当たり前でした。レッスンでもたくさんの失敗を積み重ねていいものができあがるというのが宝塚の常識なんです。どんなトップスターでも下級生らが見ている前でダメ出しをされ、できるまでやり直しの連続。すると床が汗だらけになるんですよ。それを下級生らが休憩時間にモップで拭いて、またお稽古が始まる。文字通り汗と涙にまみれた壮絶なレッスンなんです。
――そういう血のにじむような努力が、退団後の全く違う分野への挑戦を支えてくれたのですね
桝谷 私は歯科大学に入学するまでに3年かかりました。1年目は予備校に通うための受験勉強をして、2年目から受験し2度目で合格したときには36歳になっていました。年に1度の歯科医師の国家試験は、4度目で合格しました。3度目に落ちたときは、立ち直れないんじゃないかと思うくらい落ち込みました。でも、諦めずに挑戦できたのは、やはりあの宝塚での日々があったからだと思います。
――その宝塚歌劇は来年1世紀を迎えます
桝谷 今でこそ、タカラジェンヌは蝶よ花よと華やかなイメージですが、100年を迎えるまでには先輩たちの大変なご苦労がありました。3年前に大学院で認知機能に関する博士論文を書くため、高齢の卒業生の方々に聞き取り調査をしたことがあります。戦争中の劇場の閉鎖、軍の接収、慰問活動、そして戦後の復活…苦しい時代を乗り越えてきた先輩方に支えられ、節目を迎えるのだと思うと胸が熱くなります。