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【ジェンヌから歯科医に(2)】華麗な舞台どころか虚弱で内気 芸の世界に救われた - MSN産経west

桝谷 私は芸の世界に救われました。今、学校に行けない子供たちには、大人はさまざまな世界があることを情報として与えてほしい。学校がすべてではないと。追い詰められている子供の心が自由に解き放たれます。

桝谷 中学生になると、数学と英語の塾に、月曜から金曜まで毎日通わせてもらいました。雨や風の日は、体調を心配した母が塾を休ませようとして、けんかになりました。台風の日、母の手をふりほどいて、「みんなにばかにされる私の気持ちが分からないのよ」と言って塾に行ったこともあります。基礎から丁寧に教えてくれる塾だったので少しずつ分かるようになり、勉強ってこんなに楽しいものなんだと思うようになりました。すると、中学2年のころには成績が上位になり周囲の態度が変わりました。

桝谷 物心つく頃から母に連れられて宝塚を観劇していましたが、中学2年のときに見た、浜木綿子(はまゆうこ)さんの舞台がとても素晴らしく、私もあの舞台に立ちたいと願いました。

【ジェンヌから歯科医に(3)】トップ入団、春日野八千代さんと共演…5年目で退団したワケ - MSN産経west

桝谷 合格は信じられない気持ちでした。でも、私は50人中16番目で決していい成績ではありませんでした。


 −−そんなに悪くない順位だと思いますが


 桝谷 10番以内に入らないと、いい役がもらえないのです。みんな優秀な人ばかりでした。日舞と琴の名取は自分だけだと思っていたら、日舞の名取だけでも10人いました。私はバレエや声楽は高校から始めましたが、3歳から宝塚に入るためにバレエシューズを履いているような人がいっぱい。その中で勝っていかないといけないんです。

 桝谷 2年目からは学校から徒歩5分くらいの所に下宿して、朝5時に起き、みんなが登校する前にいち早く学校へ行き、発声やダンス、バレエの基礎練習をすべてやり終えてから授業を受けました。1年目は、相手にもしてもらえなかったバレエの先生から注意してもらえるようになって、うれしかったですよ。そして入団試験はトップでパスしました。このことは今でも心の支えです。

桝谷 NHK大河ドラマ「新・平家物語」などに出演させていただきました。ただ、瞬間芸術の舞台の世界で育った私には、何度でも撮り直しのきく映像の世界はぬるま湯のように感じられました。ずっと女優を続けるつもりはない。それなら大学に進学して、一生かけられるものを見つけたいと思いました。

【ジェンヌから歯科医に(4)】舞台人は“歯が命”「椅子に足を縛って(苦笑)猛勉強したわ」 - MSN産経west

桝谷 舞台人にとって、「歯は命」と常々感じていました。下級生の頃はなかなかマイクを持たせてもらえず、生の声を大劇場の一番隅におられるお客さんに届けないといけないのです。そして、そのせりふや歌詞が次の役につながる。口の中に問題があれば良い声は出ません。バレエでも日本舞踊でも、かみ合わせが悪いとバランスが取れない。歯列や咬合(こうごう)が舞台の出来に関係するのです。とても重要な口腔(こうくう)内のことを究めたいと歯科大受験を決めました。

桝谷 宝塚の生徒ってじっとしているのが苦手なんです。どうしてもリズムを取って体を動かしてしまう。足を椅子にくくりつけて机に向かいました。化粧もせずに勉強の毎日で、宝塚や芸能界の友達との付き合いも一切絶ちました。電話があっても居留守を使って年賀状も出さなかった。舞台での華やかな拍手喝采の日々を思い出していたら、とても歯科医にはなれない。うしろを振り向くのをやめようと思いました。

−−新しいことに挑戦するときに年齢はハードルになりませんか?


 桝谷 全然関係ないですよ。固定観念に縛られていたら自由に生きられない。自分のやりたいことは精いっぱいやりたい。人生の最後に、一生懸命生きてきてよかった、と思いたいのです。

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