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天皇誕生日 皇居で一般参賀 NHKニュース
天皇陛下 80歳の誕生日 NHKニュース

昭和天皇の長男で、皇太子として生まれた天皇陛下は、戦争が続くなかで子どもの時期を過ごし、11歳で終戦を迎えられました。
戦後の復興期に青春時代を送り、大学生活を終えた翌年、軽井沢のテニスコートで皇后・美智子さまと出会い、25歳で結婚されました。
一般の家庭からおきさきを選んだのは初めてで、祝賀パレードに50万人を超える人たちが詰めかけるなど、多くの国民から祝福を受けられました。
皇后さまと、国内外で公務に励むとともに、3人のお子さまを手元で育て、新たな皇室像を示されました。
昭和天皇崩御に伴い、55歳で、今の憲法の下、初めて「象徴」として天皇に即位されました。
天皇陛下は、翌年の記者会見で、「日本国の象徴であり、日本国民統合の象徴として現代にふさわしく天皇の務めを果たしていきたいと思っています」と述べられました。
天皇陛下は、一貫して先の大戦と向き合われてきました。
毎年8月15日に全国戦没者追悼式に出席して、戦争が再び繰り返されないよう願うおことばを述べられています。
戦後50年を迎えた平成7年には「慰霊の旅」に出かけ、被爆地広島と長崎、そして地上戦が行われた沖縄などを訪ねられました。
さらに、戦後60年には、太平洋の激戦地サイパンを訪問されました。
天皇陛下の強い希望で実現した異例の外国訪問でした。
天皇陛下は、また、皇后さまと共に、全国各地の福祉施設を訪れるなどして、社会で弱い立場の人たちを思いやられてきました。
障害者スポーツにも強い関心を持ち、全国身体障害者スポーツ大会が開かれるきっかけを作るとともに、平成に入って皇太子ご夫妻に引き継ぐまで、大会に足を運んで選手らを励まされました。
大きな災害が相次ぐ平成の時代。
両陛下は、被害を受けた人たちに心を寄せ続けられてきました。
始まりは平成3年。
雲仙普賢岳の噴火災害で43人が犠牲になった長崎県島原市を訪れ、体育館でひざをついて被災者にことばをかけられました。
その後も、平成7年の阪神・淡路大震災など大きな災害が起きるたび現地に出向き、被災した人たちを励まされてきました。
おととしの東日本大震災では、発生から5日後にテレビカメラを通じて国民に語りかけ、その後、7週連続で東北3県の被災地などを回られました。
その後も再び東北の被災地を訪問するなど、天皇陛下は、皇后さまと共に国民に寄り添い、世界の平和と人々の幸せを願い続けられています。

天皇陛下の記者会見 全文 NHKニュース

(宮内記者会代表質問)
(問1)
陛下は傘寿を迎えられ、平成の時代になって、まもなく四半世紀が刻まれます。
昭和の時代から平成の今までを顧みると、戦争とその後の復興、多くの災害や厳しい経済情勢などがあり、陛下ご自身の2度の大きな手術もありました。
80年の道のりを振り返って、特に印象に残っている出来事や、傘寿を迎えられたご感想、そしてこれからの人生をどのように歩もうとされているのかお聞かせください。
天皇陛下
80年の道のりを振り返って、特に印象に残っている出来事という質問ですが、やはり最も印象に残っているのは先の戦争のことです。
私が学齢に達したときには中国との戦争が始まっており、その翌年の12月8日から、中国のほかに新たに米国、英国、オランダとの戦争が始まりました。
終戦を迎えたのは小学校の最後の年でした。
この戦争による日本人の犠牲者は約310万人と言われています。
前途にさまざまな夢を持って生きていた多くの人々が、若くして命を失ったことを思うと、本当に痛ましいかぎりです。
戦後、連合国軍の占領下にあった日本は、平和と民主主義を、守るべき大切なものとして、日本国憲法を作り、さまざまな改革を行って、今日の日本を築きました。
戦争で荒廃した国土を立て直し、かつ、改善していくために当時のわが国の人々の払った努力に対し、深い感謝の気持ちを抱いています。
また、当時の知日派の米国人の協力も忘れてはならないことと思います。
戦後60年を超す歳月を経、今日、日本には東日本大震災のような大きな災害に対しても、人と人との絆を大切にし、冷静に事に対処し、復興に向かって尽力する人々が育っていることを、本当に心強く思っています。
傘寿を迎える私が、これまでに日本を支え、今も各地でさまざまに、わが国の向上、発展に尽くしている人々に日々、感謝の気持ちを持って過ごせることを幸せなことと思っています。
すでに80年の人生を歩み、これからの歩みという問いにやや戸惑っていますが、年齢による制約を受け入れつつ、できるかぎり役割を果たしていきたいと思っています。
80年にわたる私の人生には、昭和天皇をはじめとし、多くの人々とのつながりや出会いがあり、直接、間接に、さまざまな教えを受けました。
宮内庁皇宮警察という組織の世話にもなり、大勢の誠意ある人々がこれまで支えてくれたことに感謝しています。
天皇という立場にあることは、孤独とも思えるものですが、私は結婚により、私が大切にしたいと思うものを共に大切に思ってくれる伴侶を得ました。
皇后が常に私の立場を尊重しつつ寄り添ってくれたことに安らぎを覚え、これまで天皇の役割を果たそうと努力できたことを幸せだったと思っています。
これからも日々、国民の幸せを祈りつつ、努めていきたいと思います。
(問2)
両陛下が長年続けられてきた「こどもの日」と「敬老の日」にちなむ施設訪問について、来年を最後に若い世代に譲られると宮内庁から発表がありました。
こうした公務の引き継ぎは、天皇陛下と皇太子さまや秋篠宮さまとの定期的な話し合いも踏まえて検討されていることと思います。
現在のご体調と、こうした公務の引き継ぎについてどのようにお考えかお聞かせください。
天皇陛下
「こどもの日」と「敬老の日」にちなんで、平成4年から毎年、子どもや老人の施設を訪問してきましたが、再来年からこの施設訪問を若い世代に譲ることにしました。
始めた当時は2人とも50代でしたが、再来年になると、皇后も私も80代になります。
子どもとはあまりに年齢差ができてしまいましたし、老人とはほぼ同年配になります。
再来年になると皇太子は50代半ばになり、私どもがこの施設訪問を始めた年代に近くなります。
したがって再来年からは若い世代に譲ることが望ましいと考えたわけです。
この引き継ぎは体調とは関係ありません。
負担の軽減に関する引き継ぎについては、昨年の記者会見でお話ししたように、今のところ、しばらくはこのままでいきたいと思っています。
(問3)
ことしは五輪招致活動を巡る動きなど皇室の活動と政治との関わりについての論議が多く見られましたが、陛下は皇室の立場と活動についてどのようにお考えかお聞かせください。
天皇陛下
日本国憲法には「天皇は、この憲法の定める国事に関する行為のみを行ひ、国政に関する権能を有しない。」と規定されています。
この条項を遵守(じゅんしゅ)することを念頭において、私は天皇としての活動を律しています。
しかし、質問にあった五輪招致活動のように、主旨がはっきりうたってあればともかく、問題によっては、国政に関与するのかどうか、判断の難しい場合もあります。
そのような場合はできるかぎり客観的に、また法律的に、考えられる立場にある宮内庁長官や参与の意見を聴くことにしています。
今度の場合、参与も宮内庁長官はじめ関係者も、この問題が国政に関与するかどうか一生懸命考えてくれました。
今後とも憲法を遵守する立場に立って、事に当たっていくつもりです。
(関連質問)
質問させていただきます。
先日、陛下は皇后さまとインドを訪問され、日印の友好親善をさらに深められました。
53年ぶりとなったインド公式訪問の御感想をお聞かせ願うとともに、国際友好親善に際して陛下が心掛けていらっしゃることについても併せてお聞かせください。
天皇陛下
このたびのインドの訪問は、インドとの国交60周年という節目の年にあたっておりましてインドを訪問したわけです。
インドを初めて訪問しましたのは当時のプラサド大統領が日本を国賓として訪問されたことに対する答訪として、昭和天皇の名代として訪問したわけです。
当時は、まだ国事行為の臨時代行に関する法律のない時代でしたから、私が天皇の名代として行くことになったわけです。
当時のことを思い起こしますと、まだインドが独立してまもない頃、プラサド大統領は初代の大統領でしたし、これからの国造りに励んでいるところだったと思います。
ラダクリシュナン副大統領は後に大統領になられました。
それからネルー首相と、世界的に思想家としても知られた人たちでしたし、その時のインドの訪問は振り返っても意義あるものだったと思います。
そして、私にはそれまでヨーロッパと中国の歴史などは割合に本を読んだりしていましたが、その間に横たわる地域の歴史というものは本も少なく、あまり知られないことが多かったわけです。
この訪問によって両地域の中間に当たる国々の歴史を知る機会に恵まれたと思います。
今度のインドの訪問は、前の訪問の経験がありますので、ある程度、インドに対しては知識を持っていましたが、一方で、日本への関心など非常に関心や交流が深くなっているということを感じました。
ネルー大学での日本語のディスカッションなど日本語だけで非常に立派なディスカッションだったように思います。
また、公園で会ったインドの少年が、地域の環境問題を一生懸命に考えている姿も心に残るものでした。
そういう面で、これからインドとの交流、また、インドそのものの発展というものに大きな期待が持たれるのではないかという感じを受けた旅でした。

「天皇陛下この1年のご動静」宮内庁が発表(全文):朝日新聞デジタル

 天皇陛下には、本日、満80歳の傘寿をお迎えになりました。


 陛下は、昨年2月に東京大学医学部付属病院で冠動脈バイパス手術をお受けになりましたが、その後は順調に回復され、この1年間は大きなご健康上の問題もなく、お元気にお過ごしになりました。昨年のお誕生日の記者会見の席上で、天皇陛下としてのお務めについて、「今のところしばらくはこのままでいきたいと考えています」とお述べになったとおり、お務めを減らされることもなく、また、休まれることもなく果たされました。


 陛下は、国事行為として、内閣から上奏のあった990件の書類にご署名やご押印をされました。また、儀式や行事として、内閣総理大臣親任式国務大臣始め118名の認証官任命式、新任外国大使26名の信任状奉呈式、大綬章及び文化勲章親授式、勲章受章者の拝謁(はいえつ)などに臨まれました。授賞式や記念式典には19回ご臨席になりました。御所や宮殿では文化勲章受章者及び文化功労者日本学士院会員、日本芸術院会員、新認定重要無形文化財保持者、青年海外協力隊帰国隊員の代表、シニア海外ボランティア及び日系社会(青年・シニア)ボランティアの代表等にお会いになり、その労をねぎらい励まされました。その回数は35回を数えました。各省庁の事務次官日本銀行総裁、外務省総合外交政策局長等からのご進講は17回に及び、行幸啓や行事に関するご説明は37回お受けになりました。このほか、新嘗祭(にいなめさい)の献穀者や勤労奉仕団として皇居に来られた方々には62回にわたり延べ7、721名の方にお会いになりました。


 外国との関係につきましては、11月30日から12月6日までの間、昨年、国交樹立60周年を迎えたインド国との友好親善関係を一層深めるため、国賓として皇后さまとご一緒に同国を訪問されました。プラサド大統領が我が国を訪問された答訪として、1960年に訪問されて以来53年ぶりのご再訪でした。当時は、国事行為の代行に関する法律がなかったため、昭和天皇のご名代としてのご訪問でした。


 最初に訪問されたデリー市では、大統領官邸で行われた歓迎式典、ムカジー大統領閣下及び同令嬢とのご会見、同大統領閣下主催の晩餐会(ばんさんかい)に皇后さまと臨まれたほか、シン首相、アンサリ副大統領兼上院議長及びスワラージ下院野党議員団長をご引見になりました。また、両陛下は、シン首相夫妻からのお申し出をお受けになり、首相公邸での午餐(ごさん)に臨まれました。このほか、市内のロディー庭園をご散策になり、その折に多数の地元市民や在留邦人と親しくご歓談になりました。ネルー大学では、同大学の概要をお聴きになった後、日本語学科の授業をご視察になり、図書館で蔵書をご覧になり、学生等とお話しになりました。インド国際センターでは、日印関係の友好親善に功労のあったインド関係者とお会いになり、その尽力に感謝され労をねぎらわれました。日本人学校では、和太鼓演奏やよさこいソーラン踊りを披露した児童等とお話しになったほか、校長始め教員から学校の活動状況等をお聴きになりました。大使公邸では、53年前のご訪問時に植樹された菩提樹(ぼだいじゅ)が大きく成長した様子を大使館員や現地職員等と懐かしくご覧になったほか、在留邦人代表とのご接見や大使夫妻主催のレセプションに臨まれました。


 今回初めてのご訪問となったタミル・ナド州の州都チェンナイでは、皇后さまとロサイア州知事及びジャヤラリタ州首相をご引見になり、同知事主催の午餐会(ごさんかい)に臨まれました。また、カラクシェトラ芸術学院では南インドの伝統的な舞踊と音楽に触れられ、タミル・ナド障害者協会では、障害のある子供たちのリハビリと職業訓練を支援する活動をご覧になり、子供たちや職員を励まされました。ギンディー国立公園内の児童公園をご散策になった折には、歓迎に集まった多数の地元市民とお話しになり、ご宿舎では在留邦人との茶会に臨まれ、インドで活躍する人々を励まされました。デリー及びチェンナイをご出発になる際には、両陛下の接伴に当たった人々とお茶を共にされて労をねぎらわれるとともに、警備関係者に謝意をお示しになりました。


 国賓の接遇としては、皇后さまと共に、今年6月に来日されたフランス国大統領閣下及びヴァレリー・トリエルヴェレール女史の歓迎行事、ご会見に臨まれ、宮中晩餐を催されました。また、公式実務訪問賓客の接遇として、3月にはスリランカ国大統領閣下及び同令夫人を、4月にはメキシコ国大統領閣下及び同令夫人を皇后さまとお迎えになり午餐を催されました。9月にはトルクメニスタン国大統領閣下をお一方でお迎えになり、ご会見、午餐に臨まれました。このほか、キルギス国大統領閣下及び同令夫人、ベナン国大統領閣下及び同令夫人、スロベニア国大統領閣下及びバーレーン国皇太子殿下とご会見になったほか、スペイン国上院議長、オランダ国最高裁判所長官夫妻、カナダ国下院議長夫妻、インド国首相夫妻、モンゴル国首相夫妻、ヨルダン国上院議長、スペイン国首相、欧州理事会議長欧州委員会委員長、ハンガリー国首相夫妻及びラオス国民会議議長をご引見になりました。さらに、ベルギー国王女アストリッド殿下を御所でのご夕餐に、退任する国連大学学長夫妻、両陛下のご成婚を記念して創設された皇太子明仁親王奨学金財団の理事長、着任した国連大学学長及びタイ国王女チュラポン殿下を御所でのご昼餐に、東日本大震災の復興を支援されたジョー・プライス夫妻、ブルネイ国国王陛下及び王妃陛下、赤十字国際委員会総裁を御所でのお茶に、第5回アフリカ開発会議に出席した各国首脳夫妻等37名、日本・ASEAN特別首脳会議に出席する各国首脳夫妻14名を宮殿での茶会にお招きになりました。


 在京の外交団との関係では、この1年間に着任後間もない29か国の大使夫妻をお茶に、着任後3年を経過した20か国の大使夫妻を午餐にお招きになり、離任する16か国の大使夫妻をご引見になりました。日本から赴任する52か国の大使夫妻にも出発前にお会いになり、帰国した46か国の大使夫妻をお茶に招いて任地の話をお聴きになりました。


 陛下は、東日本大震災とこれによる原発事故の被災者、被災地に引き続き心を寄せられ、その後の状況を案じてこられました。今年3月には、東日本大震災2周年追悼式にご臨席になりました。7月には岩手県遠野市、大船渡市、陸前高田市等を訪問され、後方支援に当たった関係者をおねぎらいになり、応急仮設住宅に居住する被災者等をお見舞いになりました。また、福島県の名産である桃の生産状況をご視察になることを望まれ、同月、私的ご旅行として、皇后さまとご一緒に福島県をご訪問になりました。折からの大雨による被害が発生したため、お出ましにより被災地域に必要な対応に遺漏が生ずることを案じられ、伊達市の桃生産農家をご訪問するご予定はお取りやめになりましたが、福島市のご宿泊所に生産農家や関係者をお招きして生産や除染活動の状況等をお聴きになり、一緒に桃を召し上がりました。この前日には、川俣町及び居住制限区域の指定を受けた飯舘村をご訪問になり、同村の小学校合同仮設校舎や地元企業にお立ち寄りになって、被災地の状況をお聴きになりました。


 このほか、陛下は、皇后さまとご一緒に5月には全国植樹祭ご臨場のため鳥取県を、6月には野口英世アフリカ賞授賞式等にご臨席のため神奈川県横浜市を、世界生物学的精神医学会国際会議開会式ご臨席等のため京都府大阪府を、8月にはサイトウ・キネン・フェスティバル松本ご鑑賞のため長野県松本市を、10月には全国豊かな海づくり大会ご臨席のため熊本県をご訪問になりました。熊本県行幸啓の折には、国立療養所菊池恵楓園をご訪問になり、ハンセン病の入所者を見舞われ、納骨堂に供花されました。ハンセン病の療養所は全国に14か所ありますが、両陛下はこれまでに12か所の療養所を訪問されています。船を港に接岸することができなかった香川県高松市大島の国立療養所大島青松園の皆さんとは県庁近くの施設でお会いになりました。また、水俣市では、水俣病慰霊の碑をお参りになり供花されたほか、水俣病資料館で語り部の話をお聴きになり、県の施設で胎児性水俣病患者の方にお会いになりました。


 このほか、両陛下は、今年からご自身でご訪問の場所と時期をお決めになって地方にお出ましになる私的ご旅行を始められました。昭和天皇香淳皇后も、昭和天皇が満79歳をお迎えになったときにお始めになっています。7月の福島県ご訪問に先立つ4月、長野県千曲市のあんずの里スケッチパークをご訪問になりました。


 都内及び近郊への公的なお出ましは、国会開会式、全国戦没者追悼式、恒例となっている日本国際賞日本芸術院賞日本学士院賞等の授賞式や各種周年記念式典等へのご臨席など58回を数えました。特に、今年は国民体育大会の開催地が東京都であったことから、その開会式や役員懇談会(レセプション)にご臨席になったほか、ハンドボール競技を武蔵村山市で、ボクシング競技を日野市でご覧になりました。また、例年は秋に国体にご臨席になるため、時期的にご覧になることができなかった水泳競技や皇太子殿下に引き継がれた障害者スポーツ大会の水泳競技も、開催地が東京都であることから久しぶりにご覧になりました。両陛下は、昭和40年から始まった全国身体障害者スポーツ大会が開催されるきっかけをお作りになりましたが、平成2年に皇太子殿下にお引き継ぎになるまで、昭和天皇がご不例のため東京を離れることができなかった昭和63年を除き、毎年、開会式にご臨席になり、ほとんど全ての競技をご覧になって障害者スポーツを支援されてこられました。


 御用邸へは、葉山御用邸に3回、須崎御用邸那須御用邸に各1回お出ましになりました。このうち6月の葉山御用邸は、皇后さまがご体力の低下等により大事をとって御所で静養されることとなったため、お一方でお出ましになりました。須崎御用邸ご滞在中は、皇后さまとご一緒にみかん農家を訪問されたほか、下田市魚市場で水揚げをご覧になり、伊豆漁業協同組合長やこの地域に避難中の東日本大震災被災漁業者らとご懇談になりました。那須御用邸ご滞在中は、両陛下は、例年どおり農家を訪問されたほか、陛下のお考えからご即位20年の機会に御用邸用地の一部を宮内庁から環境省に移管して整備された「那須平成の森」を散策され、居合わせた来訪者と歓談されました。8月下旬は、長野県軽井沢町群馬県草津町でお過ごしになりました。


 宮中祭祀(さいし)については、恒例の祭祀等に26回お出ましになりました。このうち新嘗祭(にいなめさい)は昨年同様、「夕の儀」、「暁の儀」ともにお出ましの時間を短縮され、儀式の半ばより出御されました。伊勢神宮式年遷宮に際しては、神嘉殿(しんかでん)で遙拝(ようはい)の儀を催され、皇大神宮及び豊受大神宮をご遙拝になりました。なお、天長祭、歳旦祭及びインド国ご訪問に際しての賢所皇霊殿神殿に謁(えっ)するの儀は、ご代拝となりました。


 陛下は今年も例年どおり、皇居内生物学研究所の一画で種籾(たねもみ)のお手まき、お田植えをなさり、お手刈りをなさいました。また、陸稲と粟をお子様及びお孫様方とご一緒に種をまかれ、刈り取られました。粟は新嘗祭の折にお手刈りになった水稲とともにその一部をお供えになりました。また、神嘗祭に際しては、お手植えになった根付きの稲を神宮にお供えになりました。


 ご研究については、陛下は「日本産魚類検索−全種の同定」の第三版の改訂作業に向け、皇居内の生物学研究所で編集者である京都大学教授及び生物学研究所の職員らとハゼ類の項目についてのご検討を進めてこられましたが、今年、第三版が上梓(じょうし)されるに至り、その祝賀会にご出席になりました。平成5年(1993年)に出版された「日本産魚類検索−全種の同定 初版」では342種、この度の同第三版では518種となり、初版から176種が追加されました。国立科学博物館本館で開催された魚類分類研究会にも6回ご出席になりました。また、国立科学博物館で開催されました「魚類の系統と多様性に関する国際シンポジウム懇親会」にご出席になり、国内外の研究者とご懇談になりました。


 皇居に棲息(せいそく)するタヌキの食性についてのご研究も継続されています。


 陛下は、本年1月に宮内庁病院及び東京大学医学部付属病院においてお受けになった定期ご検査の結果、おからだの状況はおおむねお健やかであられ、当面、ご日程の変更をお願いする必要はないとされた一方で、ご高齢であられること、また、前立腺がんご手術を契機に行われてきたホルモン療法に起因する骨粗鬆症(こつそしょうしょう)に進行が認められること等から、適度なご運動を続けていただくとともに、ご生活面で過度な負荷が掛かることはお避けいただくこと等が今後の課題として挙げられました。このため、毎朝、皇后さまと御所のお庭を散策されているほか、週末等に短時間ながらテニスをされています。また、日曜日にはマイカーを運転されて皇居東御苑においでになり、雑木林を散策して池の鯉(こい)に餌をお与えになったり、陛下のご発案で平成20年に整備された果樹古品種園をご覧になったり天守台に上られたりしておられます。そのほか、お時間がおありのときは、読書をされたり、チェロを弾かれたりしています。


 傘寿をお迎えになったことを契機に、宮内庁としては、お年にふさわしいお過ごしをしていただけるよう、お務めのない日を増やしたり、行事の進め方やご日程の組み方を見直すなどしてまいりたいと考えています。


 12月23日のお誕生日当日は、午前中は御所で侍従職職員から祝賀をお受けになった後、宮殿で皇族方を始め宮内庁職員等による祝賀を5回にわたりお受けになります。また、この間に3回にわたり長和殿ベランダに立たれて国民の参賀にお応えになります。午後からは内閣総理大臣、衆・参両院議長、最高裁判所長官の祝賀をお受けになった後、皇族方もお加わりになって、三権の長、閣僚、各界の代表等との祝宴に臨まれます。その後、外交団を招かれての茶会、元側近奉仕者等との茶会、次いでご進講者等との茶会に臨まれます。夕刻には敬宮さま始め未成年の内親王親王殿下方のご挨拶(あいさつ)をお受けになり、夜にはお子様方ご夫妻とお祝御膳を囲まれます。


ロシア大統領が天皇陛下に祝電 インタファクス通信 - 47NEWS(よんななニュース)

祝電で大統領は「日ロ両国が真のパートナーとして包括的な関係を発展させることが、両国民の利益となり、アジア太平洋地域の安定と安全保障に役立つと確信致します」と伝えた。