https://d1021.hatenadiary.com
http://d1021.hatenablog.com

【世界史の遺風(97)】アショカ王 仏教伝道、イエスに影響? - MSN産経ニュース

 なにしろ記録の残っていない古代だから、想像はふくらむ。野心に燃えるアレクサンドロス大王はインドにまでいたる世界帝国を築いた。大王の死後、帝国は後継諸国家に分裂し、そこにはギリシャ語を共通語とする広大な文明圏ができた。


 その中で、前3世紀インドのアショカ王は仏法の伝道に熱意をもち、世界中に伝道師を派遣した。なかにはエジプトのアレクサンドリアまで訪れる者もいたという。これらの地道な布教活動は幾世代も続いたらしい。求道者として放浪していたイエスが、仏僧の言葉に耳をかたむける姿はありえないことではないのだ。

 アショカは、兄弟すべてを殺し、マウリヤ朝の王位を奪った。また、近隣諸国へ遠征し、過酷な戦禍をもたらす。とくにカリンガ王国の征服は悲惨であった。彼は自分が冷酷だったことに衝撃を受けるのである。さらに、その胸中を臣民に隠そうとしなかった。ある法勅碑文のなかで告白する。


 「神に愛されし者はカリンガ征服の後、悔悟の念を抱いた。なぜなら、それまで征服されたことがなかった土地が蹂躙(じゅうりん)されたからである。人々が殺され、死に、追放されたことは、神に愛されし者の激しい苦しみであり、この者の魂の大いなる重荷である」(岩坂彰訳)


 ここには為政者の率直な改悛(かいしゅん)の情がこめられており、人類史のなかでも特筆すべき感動的場面ですらある。こうしてアショカ王は不殺生、慈悲などを説き、仏教にもとづく世界秩序をめざすのである。


 これらのアショカ王の法勅碑文には、ギリシャ語とアラム語(オリエント世界の公用語)で刻まれたものもある。それはアフガニスタン南西部で発見されており、そこはアレクサンドロス大王の東方遠征のなかでも最果ての地の一つであった。大王の死後、この地域はアショカ王支配下に入ったのである。


 「王は信仰心を人々に示した。この時から、王は人々を、より信仰心篤くし、すべてをこの土地で栄えさせた。王は肉食を断ち、他の人々や狩人、王の漁師たちは猟や漁りをやめた」(田村孝訳)

 仏教に帰依したアショカ王は自分の王国内で伝道しただけではなかった。世界中に伝道師を派遣しているのだ。だから、東から西へ仏教が伝来することもあった。


 その痕跡は、たとえばギリシャ人の王ミリンダ(メナンドロス)と仏僧との宗教問答をつづった『ミリンダ王の問い』(那先比丘経(なせんびくきょう))にも残っている。中でも高名な師、ナーガセーナの説法はみごとであった。王はそれに屈し、仏法に信服するのである。だから、イエス仏教徒だとは言わずとも、仏教思想にふれたことはありえないわけではない。


 アレクサンドロス大王からアショカ王を経てイエスにいたる時間軸のなかで、思いがけない世界史を想像する種はまだまだ尽きないのである。

http://d.hatena.ne.jp/d1021/20140219#1392807111
http://d.hatena.ne.jp/d1021/20140219#1392807125