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【一服どうぞ】裏千家家元・千玄室 ご先祖と八犬伝の縁 - MSN産経ニュース

後で知ったのだが、祖先千利休の曽祖父の時代に遡(さかのぼ)ると、祖は里見義親(よしちか)になる。

その後、何気なく父にこの話をしたら「里見家と千家とは関係あるのだよ」と言われた。


 利休は堺の納屋衆の一家である田中家に生まれ、幼名は与四郎と名乗った。成人して茶の道に入り、武野紹鴎(たけのじょうおう)に師事した。祖父は千阿弥で室町御所に出仕、それこそ『君台観左右帳記(くんだいかんそうちょうき)』(唐絵・唐物による座敷飾りの規式書)のもと、茶や文化関係の仕事に携わっていた。その祖父は里見義親の子孫で田中家をたて房総から京に、そして堺へということになる。

孔子の教え儒教が、その後に道教が伝わると、鎌倉時代後半より道教論語とともに武家の教養の第一義となった。

武家政治にあって、武士が戦いに臨む「武」ばかりではなく、教養として身につける「文」は何といっても茶道であった。

 栄西禅師が鎌倉初期に入宋し、禅宗を極められ、日本に帰国。その折に茶種を持ち帰られ、京の栂尾(とがのお)高山寺にその種がまかれ、茶の木が繁殖したのが茶の始まりのように言われている。

 とにかく茶と禅の一体化ということで鎌倉時代武家茶禅一味を実践し、自己研鑽(けんさん)に努めた。禅宗の規範である百丈清規(はじょうしんぎ)が基となり茶の道の発展へとつながる。


 利休は茶の湯という単に茶を喫すということを通じて、主客相互の在り方と、一●(いちわん)に己の心を託す哲学的思想を確立して茶道を大成したのである。仁・義・礼・智・信を含めて「和敬清寂」という四文字で一●の茶の大義を教示した。

千利休 - Wikipedia

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