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『漢詩の名作集〈上〉』
P323

公は出でては将となり、入っては相となるべき人物なるに、其の高位に上らずして、卑位に甘んずる間、前門に狼を防げば後門より虎が推し入るというごとく、足利氏の叛せし為、天下は再び大いに乱れて、国歩艱難に陥りぬ、乃ち公は、しばし賊鋒を避けて、これを京都におびき寄せんとの策を献じたるも用いられず、事の成らざるを知りながら、志を軍務に決して、生きては還らぬ覚悟を定められ、しばらく児輩を残して己が志を継がしめ、一家一族の血肉は尽く王事の為に尽くしたりぬ、若し楠の旧根が残って居るにあらざれば、いかで芳野の地に偏安して、南朝五十余年の久しきを支持し得んや、さて摂津の山勢は斜めに連なりて、茅海の水は昔ながらに碧なる処、吾は今馬より下りて、兵庫の駅に立ち、当年の事を追憶するに、公は児の正行に訣れ、弟の正孝を引き連れ、ここまで出掛けて血戦し、やがて、刀は折れ矢は尽き、最早これまでなりと、北、京都の方を望みて再拝し、遂に自刃せられたるが、天日為に光なく暗澹たり、その最後に臨んで、七たび人間界に生まれ来て、必ず国賊を亡さんといいし如き、鬼神も壮烈に泣くなるべし、爾後すでに五百年、碧血の痕化して、見わたす限りの春の野の、大麦と為りて生い茂れり、顧みれば、北条九代、足利十三世の間、君臣相図り、骨肉相呑み、今に至りては、何も残る物とてはなし、これに反して、楠氏は、忠臣孝子、一門に集まり、一片の嗚呼忠臣楠氏の碑は、万世の末まで残り、無数の英雄も之を憑弔して、一様に涙の痕を留むると、その得失、果たして如何ぞやと、吉田松陰此の詩を喜み、其の松下村塾に在るや、常に之を諷誦したりという。

湊川神社

太平記』によると−(湊川の民家に入った楠木一族十三人、その家来六十余人が客間に並んで座り、念仏を唱えて一斉に腹を切ったという。最期に上座に坐っていた正成は、弟 正季に向かって「来世では何を願うか」と問うと、正季は「七生まで、ただ同じ人間に生まれて、朝敵(足利軍)を滅ぼさばやとこそ存じ候へ」と答えた。
 それを聞いた正成は、嬉しそうに「罪業深き悪念なれども、われもかやうに思うなり、いざさらば同じく生を替えて(生まれ変わって)この本懐を達せん」と約束して、兄弟ともに刀を刺し違えて死んだ)とある。

楠公は妄執だと知っている。
しかし、このように敢えて苦患に挑戦する日本人の精神を大和魂という。


かくすれば かくなるものと知りながら やむにやまれぬ大和魂(吉田松陰の名言) | 幕末ガイド
中国人は「老」を重んじるが、日本人は「生(き)」を尊ぶ。


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