仏道修行の道場には、本来、それぞれの役職を担った六人の知事がおり、六人はいずれも仏弟子達であり、みな仏道修行に励んでいる。その中でも、典座という一つの職は、修行僧達の食事を作りととのえることが役割である。『禅苑清規』には、「修行僧達を供養する必要がある、だから典座の職がある」と言っている。昔から、悟りを求める深い心をおこした人達だけが、いつも役にあてられてきた職である。思うにそれは、典座の職というものが、純粋で雑念のない仏道修行そのものであることによる。したがって、もし悟りを求める心がなかったなら、無駄につらいことに心を煩わすだけで、結局なんの得るところもないのである。
Amazon.co.jp: 典座教訓・赴粥飯法 (講談社学術文庫)の ままぞんさんのレビュー
中国留学中のある暑い日に、背中の曲がった高齢の典座(食事係)が汗を流しながら海藻を干しています。
齢68才と聞き、どうして若い人にやらせないのかと訊く道元に典座は答えます。
「佗(た)は是れ吾にあらず」
でも何もこんな暑いときにしなくてもと言う道元に典座は訊き返します。
「更に何(いず)れの時をか待たん」
まさしく、すべてがここに現れています