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【修行の意味】#法話 #小池陽人の随想録 #仏教 #教え

#入我我入#観想

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密教行法の基本は,本尊を迎えてこれと身口意の三密において合一する三密瑜伽(さんみつゆが)である。本尊の結ぶ印契を身に結び,本尊の誦す真言を口に誦し,本尊の念ずる観念をこらすことによって感応道交一体となる。

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では、なぜ白隠禅師はお釈迦様と同じ境地に立って感応したのか。それは、お釈迦様は「たとえば、たとえば、たとえば、たとえば......」 とあらゆる人に対して、あらゆるたとえを通して衆生を導こう、仏様の真実なる世界を導こうとされました。それというのも深い慈悲の心があったからで、お釈迦様は身分の高い人から低い人にいたるまで、その人にあわせて「たとえば」 で教えています。

白隠禅師は、そこに「はっ」 と気づいたわけです。「こんなにも、たとえば、たとえば、たとえば、たとえばで道を説かれたということは、それだけ大きな慈悲があったんだ」 と、それがわかったのです。理屈じゃないところでわかった。法華経を説かれたときのお釈迦様の慈悲の大いなるところに感応して、三日間、涙が出て止まらなかったのです。それ以後の白隠禅師は、本当の慈悲の心に目覚めまして、ガラッとまた大きく変わったのです。

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 およそ煩わしく面白からぬことの多い人世において、夜の一時を独り静かに偉人の伝記や好きな書を読み耽るほど楽しいことはない。その時こそ生き返るような感じが身心に満ちてくる。その時こそ高きものへの憧れがひたすらにわが心をうつと共に、彼も人なり我も人なりというような奮発や自負心、来て見ればさほどでもなし富士の山というような高慢な心も時に起きる。しかしまた静かに己を顧みる時、そしてその人々の心境を更に深く思う時、更にその人々の事跡に思いを致す時、やはり偉いわいこの人は、という気持が私を恥じらわさずにはおかぬ。
 ある日、薩摩の若殿原が新納忠元を訪れて、いろいろ学問武道の話を聴きながら、「胆力はいかなる時に据わるのですか」と問うた。忠元は微笑みながら彼等を見渡していたが、静かに口を開いて「御身たちは古聖賢の書または偉人の伝を読んで心の底から感激し、または愉快を感じて胸の中がわくわくする時があろう。その時に胆力が据わるのだ。また戦場に出て場数を踏む中に、いつとはなしに胆力は据わってくる」と話したという。吾人の学問はあくまで実学でなければならぬ。そのためには第一に良き師を求めて日夕深くみずから留意してその言行を観、みずから学び、みずから場数を踏むようにつとめねばならぬ。そして真剣にみずからに引き較べつつその講学を聴くべきである。書を読むにもその精神・境地に深く思いを致し、その事に処する態度を会得すべきである。読んで快心のところに至った時はもちろん、わが欠点を深く突かれた時も、やがて喜びはおのずから心に湧く。そして更に新たな勇気が心身にあふれてくるのを覚える。忠元の言のようにこういう時に胆力は据わるのかも知れない。実に読書は練心でなければならぬ。

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自分のミタマが光ってないから、光は自分の外にあると思ってしまう。
そして、それを求めるのが正しいと。

#自灯明法灯明

#純金の説#陽明学

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今から750余年前曹洞宗開祖道元禅師は、24歳の時中国に留学し、天童寺如浄禅師に学ばれ、28歳で帰国。帰国後の第一声が「空手還郷」クウシュゲンキョウ、「眼横鼻直」ガンノウビチョクというものでした。
空手還郷とは、「経典や仏像など持ち帰らず、手ぶらで祖国日本に帰ってきました」。
眼横鼻直とは、「眼は横に鼻は縦についていることがわかった」と言われたのです。
読んで字の如く、「あたりまえ」という意味で、人間として如何に生きるか、あたりまえをあたりまえに行ずることであります。仏教や禅というと、私たちは特別なものとして構えてしまいますが、そうではなく、自分の足元をしっかりと定め、日常生活が真剣に修行として行ずるならば、そこにこそ仏になる道がひらけてくるということを示されたのです。

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ある日、一休さんは一本の曲がりくねった松の鉢植を、人の見える家の前に置いた。「この松をまっすぐ見えた人には褒美をあげます」と、小さな立て札を鉢植に懸けたのである。
 いつの間にか、その鉢植の前に人がきができた。誰もが曲った松と立札を見て、まっすぐ見えないかと思案した。だが誰一人として、松の木をまっすぐ見ることはできなかった。
 暮れがた、一人の旅人が通りかかった。その鉢植を見て、「この松は本当によく曲りくねっている」と、さらりと一言。それを聞いた一休さん、家から飛び出てきて、その旅人に褒美をあげたという。
 その旅人だけが松の木をありのままに見たのである。他の人は一休さんの言葉に惑わされてしまった。褒美に目が眩み、無理に松の木をまっすぐ見ようとしたのである。(『大法輪』昭和六十三年二月号、藤原東演「臨済禅僧の名話」参照)

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仏教の一番の基本は「如実知見」です。すべてを、ありのまま、あるがままに見つめ、認めること。それさえできれば、ほんとうは一切の思い煩いから自由でいられるのですよね。

狭苦しい頭の中から飛び出して、からだまるごとで「いまここ」を生きること。その道を説くのが、仏教なのだなあ、と……。

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当時、仏教界最高峰の学問所でもあった比叡山天台宗の教えを中心に仏教を学ぶ日々を過ごした道元禅師は、ある日、経典のなかに出てくる言葉に疑問を抱く。

「本来本法性ほんらいほんぽっしょう 天然自性身てんねんじしょうしん」

「人は生まれながらにして仏そのものである」
およそそのような意味の言葉と出会い、道元禅師は困惑した。

道元禅師の伝記である『建撕記』には、その時の道元禅師の思いが次のように記されている。

「顕密二教ともに談ず。本来本法性、天然自性身と。若しかくの如くならば、三世の諸仏、甚によってか更に発心して菩提を求むるや」

『永平広録』には、道元禅師が帰国した後の思いが次のように記されている。

「等閑に天童先師に見えて、当下に眼横鼻直なることを認得して、人に瞞ぜられず、便乃ち空手にして郷に還る。所以に一毫も仏法無なく、任運に且く時を延ぶ。朝朝日は東より出で、夜夜月は西に沈む」

偶然にも如浄禅師という本物の師と出会うことができ、そのもとで修行を重ねて、眼は横に並び鼻は縦に顔に付いていることを体得した。もう人の言葉に惑わされることもない。だから私は何も持たずに日本へと帰ってきた。本場中国にも、あえて仏法と呼ぶような教えがあるわけではなく、ただしばらく時間を過ごしただけだ。私が学んだことが何かというならば、それはたとえば、太陽は朝に東から昇り、夜に西に沈んでいくということだ。

特別なことが仏法なのではない。当たり前のことなのだ。大切なことというのは。遠くにある「ありがたい教え」を妄想するのではなく、足元にある「今すべきこと」に意識を向ける。
今、仏として生きる。

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正法眼蔵弁道話より|曹洞宗東海管区教化センター

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【五観の偈 ~食べること、それも修行~】#法話 #小池陽人の随想録 #仏教 #教え

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【誰かに、何かに、成りきる事の大切さ】#法話 #小池陽人の随想録 #仏教 #教え

滝行はケガレを落とすために行う。

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お釈迦さまはガンジス川の一支流にある菩提樹の木の下でお悟りを開くんですが、そのときにかつての五人の仲間がいたんですね。彼らは鹿野苑といって、二百五十キロ離れたところにいたんですが、説法の対象として、その五人の仲間の所へ歩いて行くんです。その時に仲間は快く迎えないんですね。・・・しかし、実際、来るとね、そのお釈迦さまの品格に打たれて、結局、正しい作法で迎えるんです。・・・しかし、そうして迎えてもお釈迦さまの話を聞く気にはならない。その時にね、お釈迦さまが、「それならば、君たちは君たちと一緒にいたときの自分の顔が、こんなに輝いていたことを見たことはあるか」と、こう聞くんですよ。この輝きを見ろ、と。それで初めて五人のかつての修行仲間が納得して、お釈迦さまの話を聞き始めたという逸話が残っているんですね。それを初転法輪というんです。・・・過去の命はない、明日は来てみないとわからない。「ここ」が充実しない限り、一生、充実しないんですよ。「ここ」を中途半端に生きると一生が中途半端なんです。「ここ」でグチや泣き言をいってると、一生、グチや泣き言の連続。「いま」「ここ」「自分」が輝いていれば、一生、輝いている。

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一般論でしか語り得てなくて、問題を内在的に捉えていないから、批判される。

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【方便とは、さとりへの道筋と知る】#法話 #小池陽人の随想録 #仏教 #教え

菩提心を因となし、大悲を根となし、方便を究竟とす」弘法大師(十住心論)。菩提心とは「さとり」へむかう心のことで「発心」とも言います。密教において仏の智慧は『自分自身でさとりに向かう努力をし、他を救いたいという気持ちで行動を起こすことが「究竟」つまり最高の行為である』と説いているのです。

「方便を究竟とす」という言葉を私なりに解釈してみます。

方便とは、「さとり」への道筋のことであり、究竟とは究極、つまり「完成」のことですので、さとりに向かおうと努力している姿そのものが尊いという意味にもとることができます。

さとりという「結果」ではなく、方便という「過程」こそが大切と教えてくださっているように思えるのです。

「ダンマパダアッタカター」という経典にこのような説話があります。

ある母親が、よちよち歩きができるようになったばかりの一人息子を突然の病で失い、悲しみに打ちひしがれます。

彼女は息子を生き返らせてほしいと釈尊のもとを尋ねます。

釈尊は次のようにおっしゃいました。

「家々をまわって、けしの実をもらってきなさい。ただし、これまで一度も死人を出したことのない家のけしの実でなくてはいけない。それをもらって私のところに持ってきなさい。けしの実で薬をつくり息子を生き返らせましょう。」

母親はその言葉を聞いて、必死に家々をまわりました。

しかし、死人を出したことのない家など一軒もありませんでした。中には、自分と同じように子供を失った人や自分よりもっと辛いと思われるような人にも出会いました。

様々な人と出会ううちに、母親は大切な人を喪う悲しみは自分一人だけのものではないと気づきます。

生きとし生けるものは死をまぬがれることはできない。

その理を知り、少しずつ息子の死を受容していきました。

この説話はまさに釈尊が方便(道筋)を大切にされていたことを教えてくれています。

もし釈尊が母親に人は皆死ぬ(諸行無常)という理をそのまま言葉で伝えていたらどうなったでしょう。

悲しみのどん底にいる母親にはその言葉の真意は届かなかったかもしれません。

釈尊は母親が自ら理に気づき、悲しみと向き合えるように導かれたのです。その時の母親に一番必要な道筋を示されました。十人いれば苦しみはそれぞれ違い、苦しみの向き合い方もまた十通り、いやそれ以上あるかもしれません。

この説話は、その人にあった道筋を正しく導いてあげることがいかに大切かを教えてくださっています。

アラスカの大自然を撮り続け、43歳でヒグマに襲われ他界した写真家の星野道夫さんは素晴らしい写真や文章を多く残されました。

星野さんの言葉で「人は生きているかぎり、夢に向かって進んでいく。夢は完成することはない。」「結果が最初の思惑通りにならなくても、そこで過ごした時間は確実に存在する。そして最後に意味を持つのは、結果ではなく、過ごしてしまった、かけがえのないその時間である。」という言葉があります。

私たちは時に、結果ばかりを求めてしまうことがあります。

そして結果がでないと焦り、苛立ち悩み苦しみます。

しかし、仏教は一時の華々しい結果ではなく、日々の積み重ねこそが大切であるという教えです。

私はこのことを歩き遍路で感じました。四国一周という長い道のりは、一歩一歩の積み重ねでした。

目の前にあることに対して誠実に取り組むことの大切さをお釈迦さまやお大師様は教えてくださっています。

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では、なぜ白隠禅師はお釈迦様と同じ境地に立って感応したのか。それは、お釈迦様は「たとえば、たとえば、たとえば、たとえば......」 とあらゆる人に対して、あらゆるたとえを通して衆生を導こう、仏様の真実なる世界を導こうとされました。それというのも深い慈悲の心があったからで、お釈迦様は身分の高い人から低い人にいたるまで、その人にあわせて「たとえば」 で教えています。

白隠禅師は、そこに「はっ」 と気づいたわけです。「こんなにも、たとえば、たとえば、たとえば、たとえばで道を説かれたということは、それだけ大きな慈悲があったんだ」 と、それがわかったのです。理屈じゃないところでわかった。法華経を説かれたときのお釈迦様の慈悲の大いなるところに感応して、三日間、涙が出て止まらなかったのです。それ以後の白隠禅師は、本当の慈悲の心に目覚めまして、ガラッとまた大きく変わったのです。

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陽人と学ぶ『般若心経 』其の四:朝のお祈り(2020/05/10)

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対立はすでにその奧に統一を予想し、変化はその根底に不変を内含してゐる。我々は統一なくして対立を考へることはできず、不変を離れて変化を解することができない。善悪が相対的区分だといふことは、同時に善悪を統一する根本原理を示現してをり、道徳が変化するといふことは直下に道徳の不変を証明してゐる。

 ただし道徳の不変といつても、それはいついかなる場合にも充当し得る行為の模型が存する意味ではもちろんなく、いついかなる場合にも道徳を成立せしめる根本原理が存在するといふ意味である。善悪の区分とてもその通り、いついかなる場合にても善悪を立て得る根本原理が存在してゐるのである。

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此ノ首題ヲ杖ニモ力ニモシテ、是非トモ法華眞ノ面目ヲ見届クベシト、深ク望ミヲ掛ケテ唱ヘラルベシ。願クバ出ル息キ入ル息キヲ題目ニシテ欲シキ事ヨト、随分親切ニ断ヘ間モナク唱ヘラルベシ。唱へ唱へテ怠ラズンバ、久シカラズシテ心性タシカニ、大石ナドヲユリ居ヘタル如クニテ、一心不乱ノ心地ハ、ホノカニ覚へ有ルベシ。其ノ時ニステ置カズ、随分唱ヘラルベシ。イツシカ聞キ及ビシ正念工夫ノ大事に契当シテ、平生ノ心意識情都ベテ行レズ、金剛圏ニ入ルガ如ク、瑠璃瓶裡ニ坐すスルニ似テ、一点ノ計較思想ナク、忽然トシテ大死底ノ人ト異ナル事ナケン。纔カニ蘇息シ来ラバ、覚ヘズ純一無雑、打成一片ノ眞理現前シテ、立チ処ニ法華眞ノ面目ニ撞着シテ、乍チ身心ヲ打失シ、本門寿量久遠實成ノ如来ハ現前ニ分明ニシテ、推セドモ去ラジ。

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お釈迦様は「ハスの生き方に、人としての生き方を学びなさい」と言いました。

その沼地にしっかり根を張り、泥の中から養分を吸収し、立派に花を咲かせます。

その花も泥に染まる事なく、本来自分の持っている色「白や青、薄ピンクなど」を咲かせます。

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釈迦牟尼が悟りを開いた後、その悟りを広めることをためらったが、その悟りを広めるよう勧めたのが梵天帝釈天とされ、この伝説は梵天勧請(ぼんてんかんじょう)と称される。

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世尊、願わくは法を説きたまへ
善逝、願わくは法を説きたまへ
有情にして塵垢少き者あり、若し法を聞かずばた退堕するも、聞かば法を悟り得べけん。

どうか教えを説いてください。
穢れの少ない者たちもおり、彼らは教えを聞かなければ堕落してしまうが、
教えを聞けば法を悟ることができるでしょう。

—  Ariyapariyesana Sutta および南伝大蔵経

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