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吉川英治 三国志 序

 三国志には、詩がある。
 単に尨大な治乱興亡を記述した戦記軍談の類でない所に、東洋人の血を大きく搏つ一種の諧調と音楽と色彩とがある。
 三国志から詩を除いてしまったら、世界的といわれる大構想の価値もよほど無味乾燥なものになろう。
 故に、三国志は、強いて簡略にしたり抄訳したものでは、大事な詩味も逸してしまうし、もっと重要な人の胸底を搏つものを失くしてしまうおそれがある。
 で私は、簡訳や抄略をあえてせずに、長篇執筆に適当な新聞小説にこれを試みた。

 現在の地名と、原本の誌す地名とは、当然時代による異いがあるので、分っている地方は下に註を加えておいた。分らない旧名もかなりある。また、登場人物の爵位官職など、ほぼ文字で推察のつきそうなのはそのまま用いた。あまりに現代語化しすぎると、その文字の持っている特有な色彩や感覚を失ってしまうからである。

 原本には「通俗三国志」「三国志演義」その他数種あるが、私はそのいずれの直訳にもよらないで、随時、長所を択って、わたくし流に書いた。これを書きながら思い出されるのは、少年の頃、久保天随氏の演義三国志を熱読して、三更四更まで燈下にしがみついていては、父に寝ろ寝ろといって叱られたことである。本来、三国志の真味を酌むにはこの原書を読むに如くはないのであるが、今日の読者にその難渋は耐え得ぬことだし、また、一般の求める目的も意義も、大いに異うはずなので、あえて書肆の希望にまかせて再訂上梓することにした。

http://d.hatena.ne.jp/d1021/20141207#1417949019