https://d1021.hatenadiary.com
http://d1021.hatenablog.com

ODA Hiroshi(小田 浩)

哲学の紹介、解説のをする役割も大切だし、過去の哲学書を読むのも楽しいφ(・ω・ ) だけど、自分の頭で哲学をする(?)ことができたら、もっと面白いだろうなあ… 寧ろ、よく生きるためには自分で哲学をするのは必須のことなのだろうか?

しんじけ

「ある年齢を過ぎたら、読書は精神をクリエイティブな探求から遠ざける」(アインシュタイン)か。


コースオリエンテーションで、読書を奨励してしまった。。。

しんじけ

読まずに考える時間を持つことも大事。他方で、膨大にインプットだけをする期間をもった人たちの成功例も、良く聞く。

しんじけ

そういう人たちが、どの時期にインプットしていたかというと、たいてい学生のときのようである。

論語『子曰、学而不思則罔(学びて思わざれば則ち罔し)』解説・書き下し文・口語訳 / 漢文 by 春樹 |マナペディア|

子曰く、学びて思わざれば則ち罔し(くらし)、思いて学ばざれば則ち殆し(あやうし)。

http://d.hatena.ne.jp/d1021/20150113#1421145869
http://d.hatena.ne.jp/d1021/20150108#1420713487(『至極の大乗、思議すべからず。』)
http://d.hatena.ne.jp/d1021/20141123#1416739003(見性までは宗教や哲学のことを考えず)


Amazon.co.jp: 王陽明研究の 黒口隊長さんのレビュー

戦後日本の政財界にカリスマとして君臨した著者の、いわゆる「処女作」とされているもの。卒業論文がベースとなっているそうであるが、これがその卒業論文そのままということではににしても、二十台そこそこでこれだけのものを書き上げるというのは、やはり驚異的なことであろう。それは本書から伺うことのできる圧倒的な漢文の読解力や、該博な知識、教養のことではない。そうしたものは確かに素晴らしいものなのであるが、戦前の教育体系の中にあっては、しばしば生じたものである。そうではなくて、本書を通じて著書が追求している哲学的、倫理的な問題意識の強靱さと深さである。時代を憂い、世を憂い、悲憤慷慨するということは、若い人間なら少々の才能があれば説得的な形で表現することができるであろう。しかし本書の主題は、そうしたものよりも遙かに深く、老成しているのである。こうした老成は、例えば吉田松陰橋本左内といった、時代の転換点の、しかも不幸な時代に居合わせた、才能ある若者のものである。だから改めて、昭和という時代の思想的な不幸を思わずにはおれない。最後に、本書、内容的に高度であり、文体も硬いので、入門書ではない。また、思想的な問題意識が強いので、普通の意味での研究書というわけでもない。むしろ王陽明を手がかりにした一種の思想書というべきであろう。手に取る人は、そのつもりで!

Amazon.co.jp: 王陽明研究の ソノヤマンさんのレビュー

陽明学」と名の付く著者の作品の中では、最も若い時の作品と言われる本書が一番内容が深かったと思います。
「陽明の学説」の章では、誰かが考えた道徳に盲従するのでなく、常に自分の心に偽りがないか自問自答して行動すること、常に自分の心を働かせていることの大切さを考えさせられました。
また、「大学論」の章では、「格物」の解釈を読むことで、「人間と禽獣の違いは何か?」「何故に天地自然は人間に心を与えたのか?また、高い造化の能力を与えたのか?」「生きることが私から求めていることは何か?」といった問いへの答えを自分なりに得ることが出来ました。
自己の哲学的探究心を偽れないというような方に是非読んで頂きたい本です。

Amazon.co.jp: 王陽明研究の Takuo Yasuokaさんのレビュー

物質と精神。ものと心。物質と心は違うものなのであろうか?物質から心が形成されるのであろうか?心から物質が生じるのであろうか?
精神保健の分野では生理的欲求、社会的欲求、自己実現の欲求はピラミッド型になっており、ボトムアップ型に説明されている。生理的欲求が満たされると社会的欲求が生じて、最後に自己実現の欲求が生じるのだという。欲求不満や葛藤により様々な防衛機制が生じるが、精神的健康とは適応と自己実現が実現されている状態とされる。
生命科学の進歩は目覚しくiPS細胞による再生医療分野には大きな期待がもたれている。臓器医療により生理的欲求、社会的欲求は満たされるであろう。
しかし、「自己実現の欲求」はボトムアップ的に形成されるものなのであろうか?
天文学の領域では宇宙初期の物質が重力で集まって星が形成され、恒星内部で合成された元素が超新星爆発によって拡散され、拡散した物質が再び重力で集められて新たな星が形成されるということが解明されてきた。宇宙自体も動的なものであり拡充と進展をしているかのようである。我々も宇宙の一部であり自然の法則に従っているはずである。だから、われわれは自然や宇宙を理解できる。閉ざされた非常に狭い領域ならば、我々はあたかも自然を操作できるかのような錯覚も覚える。しかし、我々は自然の一部なのであり自然全てを支配することはできない。それは人間の傲慢である。
物と心についての思索的苦悩はいにしえの時代から先哲達によって深く洞察され、東洋思想の仏教、道教儒教すべて真理についての思索と実践であるとのこと。「一即多」「格物至知」は「放心」について現代人に内省を促し、自己実現」の真の意味について考えさせてくれると思う。

http://d.hatena.ne.jp/d1021/20150114#1421231806素読教育は「型」の徹底ですが、子どもたちはそれを通じて創造のエネルギーを蓄えます。/ 私の家では小学三年から中学三年までは祖父が、高校時代は父が『論語』を家族に教えました。/ 祖父は、小難しい解釈はほどほどにして――「いつかわかるときが来る」というのが口癖でした――、代わりに何十回も、何百回も同じ言葉を声に出し、繰り返すよう求めました。)

http://d.hatena.ne.jp/d1021/20141230#1419935861(最初は親たちから七〜八歳の時に初めて『大学』をやらされた。)