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イノベーションと自由のホントの関係(前編) フロネシス特別インタビュー:三菱総合研究所理事長・小宮山宏|フロネシス 10年先を見据えてビジネスを組み立てる実践知|ダイヤモンド・オンライン

シンギュラリティ大学は2008年に、人工知能(AI)研究で知られる発明家、レイ・カーツワイルと、民間で世界初の有人宇宙飛行を成功させた実業家、ピーター・ディアマンディスらが中心となり、米国のシリコンバレーにあるNASAのリサーチセンター内に、グーグルやノキアなどの出資を受け設立された研究機関です。


 人間の抱えるさまざまな課題は指数関数的に進展するテクノロジーにより、全て解決できるという信念に基づき、人工知能、応用コンピューター、バイオテクノロジーナノテクノロジーなどの分野で、時として荒唐無稽とも映りかねない、未来を見据えた取り組みを行っています。


 彼らが人類の課題として定義しているのは、水、食糧、エネルギー、教育、健康、環境です。つまり、指数関数的に進展する技術を動員することで、人類が基本的に必要とするものはすべて満たされ、豊饒な世界が実現できるという考え方で取組んでいるのです。

イノベーションは通常、技術革新に加え、人と人の関わり、インタラクションの中で起こると考えられていますが、シンギュラリティ大学では加速度的に伸びるテクノロジー同士のコンビネーションにより、イノベーションさえもが技術で生み出せるという前提に立っています。湯川秀樹も創造性とはコンビネーションだと言っていますね。


 シンギュラリティ大学のこうした活動を可能にしているのは、既成概念にとらわれず、従来の常識の枠組みをまったく意に介さない、完全に自由な思考です。


 これからの時代は、自由であるということが重要な意味を持ってくると思います。シンギュラリティ大学のように技術のコンビネーションだけでイノベーションが起こり得るかどうかはともかく、少なくとも自由のないところにイノベーションはなく、イノベーションがなければ未来もないのです。

――イノベーションが必要なのは、産業構造や人類の生活が決定的に変化したからですね。よく「人工物は飽和する」とおっしゃっています。


小宮山:そうです。人工物はいずれ必ず飽和します。例えば人類は酸化鉄として地中に埋まる鉄鉱石から酸素を取り除いて、粗鋼を生産してきました。しかしある程度まで鉄鉱石を掘りだして粗鋼に変えてしまうと、今度はいったん製品に使ったスクラップ鉄を加工して粗鋼を再生産する方が、圧倒的にエネルギー効率が良いのです。中国を除いた世界の粗鋼生産量において、すでにスクラップ鉄が鉄鉱石からの生産量を上回っています。つまり鉄の生産は飽和して、循環する段階に向かっているのです。


 他にも例えば、先進国では自動車を1人当たり0.5 台、つまり2人に1台所有している計算で、それ以上の需要は見込みにくくなっています。


 また、日本の人口は約1億3000万人で、総世帯数が約5000万世帯です。これに対して住宅は約6000万戸あります。2軒以上を所有する人がいても、これ以上に保有率を上げることは難しいでしょう。


 このように、人工物は量的にはすでに十分に行き渡っているので、今後は質の向上を考えていかなければならないということです。


 エネルギーに目を向けても同じようなことがいえます。火力発電の燃料の枯渇にいかに対処するかは世界的に長年の課題でした。しかし、再生可能エネルギーである太陽電池による電気代は、過去20年間で20分の1に下がり、火力発電にとって代わることが可能です。チリ北部のアタカマ砂漠で去年始動した中南米最大級の太陽光発電所「アマネセール・ソラルCAP」などは、火力発電に入札で勝った太陽電池発電所です。つまり、電力供給も火力発電という有限の「量」が問題になる方法から、再生可能という「質」が価値を持つ方法に移りつつあるのです。

ベンヤミンの『複製技術時代の芸術作品』ではないですが、音楽作品を演奏してデータ化した製品は、限りなく無料に近いものになる一方で、逆に生演奏、「ライブ」での体験価値が見直されてきています。


ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団の演奏を、いまや誰でもどこでもインターネットからダウンロードして聴くことができる時代ですが、年越しのジルベスター・コンサートなどに実際に出掛けていって、生演奏を聴くという充実感はCDやYouTubeiPodでは得られないものでしょう。


 ライブ体験にとどまらず、マスターピース(名作)をただありがたく、鑑賞、観賞するという姿勢で芸術作品の価値を享受するだけではなく、インターネットを通じて、鑑賞者自身が手を加え、双方向性の中で作品が出来上がっていくようなものや、参加体験するような形の新しい楽しみ方が増えてきています。


 以上見てきたような、体験価値を重んじるような需要への変化を「飽和的需要」から「創造的需要」への転換と呼びたいと思います。そして、こうした変化は既に始まっていると言っていいでしょう。

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