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YU

やっぱり私は、結局はフィジカルな問題にしか興味がわかないんだと思う。ここでいう「フィジカル」はとにかく広い意味で捉えてる。哲学でも霊魂(質料から完全に離在しているわけではないけど)や理性という話題にはそこまで惹かれない…。もちろん関連しているのだけれど。

Adam Takahashi

凄く分かる(って簡単に共感を示していいのかわからないけれど、凄く分かります)。

SATO Keisuke

アンリはライプニッツ論のなかで「神義論は生が被る苦しみを説明するはずが、苦しみが存在する世界の形而上学的構造の説明になってしまっている」と神義論批判をし、そこから生における苦しみの超越論的条件を分析していくのだけれど、そちらの彼の分析はさておき、神義論批判には一定の魅力を感じる

この問題、何年かかかてもっと突っ込んで考えたい

典拠はこれ。Michel Henry, “Théodicée dans la perspective d’une phénoménologie radicale” Phénoménologie de la Vie IV. 初出は86年のArchivio di filosofia

アンリ的にいえば、世界のなかに苦しみがあるのではなく、生のなかに、というか生そのものが自己触発によって自らの震えを感じることが苦しむこと(というかSouffrirすること)なので、そういう批判が出てくるのだけど、もうちょっと考えるべき何かがそこにはある気がする。

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