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タリバン最高指導者オマル師、13年に死亡 アフガン政府が発表 | Reuters

アフガニスタン政府は29日、反政府武装勢力タリバンの最高指導者オマル師が2013年4月にパキスタンで死亡していたと明らかにした。現在行われている和平交渉や後継者をめぐり、タリバン内で亀裂が深まる可能性がある。

“オマル師は2年前に死亡” アフガン政府が発表 NHKニュース

アフガニスタンの大統領府は29日夜に声明を出し、タリバンの最高指導者、オマル師が2年前の2013年の4月に、隣国パキスタンで死亡していたことを信頼できる情報に基づいて確認したと発表しました。
また、アフガニスタンの情報機関、国家保安局もNHKの取材に対して、「オマル師はパキスタン南部の都市カラチにある病院で死亡した」と明らかにしました。
一方、タリバンは、これまでのところ、声明などは出していません。
オマル師は、2001年のアメリカ同時多発テロ事件で国際テロ組織「アルカイダ」のオサマ・ビンラディン容疑者の身柄の引き渡しを拒否したことからアメリカがアフガニスタンで軍事作戦を始めました。その後、オマル師は行方が分からなくなっていましたが、たびたびオマル師の名前で声明が発表され、今月もアフガニスタン政府との間で始まった和平に向けた直接協議を支持する声明を出していました。
タリバンの精神的支柱とされるオマル師の死亡が事実であれば、組織の統率力が失われ、和平に向けた直接協議の行方に影響を及ぼす可能性があるほか、一部が過激派組織IS=イスラミックステートに流れるなど治安の悪化にもつながるのではないかと懸念されています。
このため、アフガニスタンの大統領府は、声明で「和平協議の機運はかつてなく高まっている。すべての武装勢力が和平協議に参加するよう求める」とタリバン側に呼びかけています。

タリバンの最高指導者オマル師は、1959年ごろアフガニスタン南部で生まれました。1979年にアフガニスタンに軍事侵攻した旧ソビエト軍との戦いに加わり、その後、戦闘で負ったけががもとで右目の視力を失ったとされています。
1994年、隣国パキスタンイスラム神学校で学んだアフガニスタン出身の学生らとともに、内戦で疲弊した国内を立て直すとして「タリバン」の結成に加わり指導者となりました。タリバンは、1996年に首都カブールを制圧したあと、アフガニスタンの大半を支配下に置き、オマル師はイスラム教の教えを極端に厳しく解釈した政策をとりました。
2001年3月には、偶像崇拝イスラムの教えに反するとして、世界的な仏教遺跡であるバーミヤンの大仏を爆破しました。タリバンの指導者として世界的な関心を集めたオマル師ですが、ジャーナリストや外交官にほとんど会わないことから謎の多い人物として知られ、その姿をとらえた写真や映像はほとんどありません。
オマル師は、同時多発テロ事件の首謀者とされるオサマ・ビンラディン容疑者の身柄の引き渡しを拒否し、アメリカは2001年10月、アフガニスタンへの軍事作戦に踏み切りました。アメリカ軍による空爆の支援を受けた反タリバン勢力「北部同盟」が首都カブールを制圧したことで、5年間にわたるタリバン政権は崩壊しました。
その後、オマル師は、タリバンの本拠地であるカンダハルに部隊を結集させ、徹底抗戦の構えを見せましたが、12月にカンダハルを明け渡した後、行方が分からなくなっていました。オマル師の所在を巡ってはアフガニスタン南部の山岳地帯や隣国パキスタンに潜んでいるのではないかという見方も出ていましたが、これまで確認されず、各国の関心を集めていました。