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靖国神社 首相が私費で玉串料 閣僚3人参拝 NHKニュース

終戦の日の15日、安倍総理大臣は、自民党の萩生田総裁特別補佐を通じて「自民党総裁安倍晋三」として、私費で玉串料を納め、参拝はしませんでした。萩生田氏は記者団に対し「安倍総理大臣としては、いろいろな思いがありながら総合的に判断して、参拝は見送ったのだろうが、『ご英霊に対する感謝の気持ち、靖国への思いは変わらない』と話していた」と述べました。
安倍総理大臣は、総理大臣就任1年後のおととし12月、靖国神社に参拝しましたが、「終戦の日」は去年、おととしともに、今回と同様の対応をしています。
一方、安倍内閣の閣僚では、高市総務大臣と山谷国家公安委員長、有村女性活躍担当大臣の3人がそれぞれ個別に靖国神社を訪れ、本殿に上がって参拝しました。
参拝の後、高市大臣は記者団に対し「国策に殉じて、かけがえのない命をささげられた方々に、尊崇の念を持って感謝の誠をささげてきた。公務死された方々をどのように慰霊をし、おまつりをするかというのは、それぞれの国の国民の問題だと思っている。外交問題になるべき事柄ではないと思う」と述べました。
山谷大臣は「国のために尊い命をささげられたご英霊に感謝の誠をささげ、平和な国づくりをお誓いしてきた。戦後70年、なお一層、国の平和と繁栄、そして、世界平和のために働いてまいりたいと思う」と述べました。
有村大臣は「戦後、遺族の方々が、塗炭の苦しみを乗り越えて生きてきた歩みにも、思いをはせて、これからの日本の、あるいは、世界の平和と安全のために、努力が引き続きできるようにという思いで参拝した」と述べました。

首相の玉串料奉納 中国が強い不満表明 NHKニュース

終戦の日の15日、安倍総理大臣が自民党総裁として、靖国神社に私費で玉串料を納め、閣僚らが参拝したことについて、中国外務省の華春瑩報道官は「断固反対し、強い不満を表明する」というコメントを発表しました。


この中で華報道官は「ことしは国際社会がともに歴史を総括し、未来を展望する重要な年だ。日本は過去の侵略の歴史を直視して深く反省し、軍国主義と明確に一線を画して初めて、歴史の重荷を下ろし、本当に未来に向かうことが可能になる」と主張しました。そして「われわれは、日本が歴史問題で中国や国際社会に向けてこれまでに表明した態度を実際の行動で具体的に示し、問題を適切に処理して、アジアの隣国と国際社会から本当に信頼を得るよう、いま一度、厳粛に促す」と述べました。

昭和天皇が靖国神社A級戦犯合祀への怒りを詠んだ未発表の歌が…それでも参拝する安倍内閣は“逆賊の集団”か!?|LITERA/リテラ 本と雑誌の知を再発見

靖国の名にそむきまつれる神々を思へばうれひのふかくもあるか〉

〈私は或る時に、A級が合祀され その上 松岡、白取までもが筑波は慎重に対処してくれたと聞いたが 松平の子の今の宮司がどう考えたのか 易々と松平は平和に強い考えがあったと思うのに 親の心子知らずと思っている だから 私あれ以来参拝していない それが私の心だ〉

〈この年のこの日にもまた靖国のみやしろのことにうれひはふかし〉 

「ことはA級戦犯の合祀に関することなのです。天皇A級戦犯が処刑された日、深く謹慎して悼みの心を表していられました。ただ、後年、その人達の魂を靖国神社に合祀せよという意見が起こってきたとき、お上はそのことに反対の考えを持っていられました。その理由は二つあって、一つは国のために戦に臨んで、戦死した人々のみ魂を鎮める神社であるのに、その性格が変るとお思いになっていること。もう一つはあの戦争に関連した国との間に将来、深い禍根を残すことになるとお考えなのです。ただ、それをあまりはっきりお歌いになっては、さしつかえがあるので、少し婉曲にしていただいたのです」

 保阪氏によると、松平永芳宮司(当時)がA級戦犯靖国神社合祀を押し切った背景にあるのは、太平洋戦争が終わったのは軍事的には1945(昭和20)年8月15日だが、政治的に終わったのは1952(昭和27)年4月28日、つまりサンフランシスコ講和条約発効の日であるという認識だ。


 つまり、松平は占領期の6年8カ月を太平洋戦争の「政治の戦争」であり、東京裁判で絞首刑になったA級戦犯を「政治の戦争」による戦死だと見なす。だから、靖国神社に合祀したという理屈なのだ。


 しかし、占領期をアメリカ中心の連合国との政治的戦争だったとすると、GHQを受け入れた吉田茂元首相は“敵国アメリカ”の傀儡政権であり、昭和天皇戦勝国に屈服した“傀儡天皇”として、糾弾される存在になってしまう。