昔々一党支配の時代の自民党政権は、内閣支持率も株価もそんなに気にしていなかった。気にさていたのは派閥間の均衡であり、派閥が抱える利益集団の利害調整だった。利益集団は市民社会に深く根を張り強く掴んでいて、政権が直接市民社会の要求や民意に反応し対応する仕組みではなかった。
— こたつぬこ (@sangituyama) 2016, 1月 10
この20年のうちに利益集団は衰退し、市民社会は「無党派化」というかたちで解放され(なかなか解放されないのが原子力ムラ)、利益集団をバックにしていた派閥も衰退。すると政権は、市民社会と直に向き合うようになった。
— こたつぬこ (@sangituyama) 2016, 1月 10
この段において「株価」や「支持率」は、政権への市民社会の「同意」を測る尺度になった。みんなが政権を支持してるかどうかが、かつてのように数値化しにくい有機的なつながりではなく、たんなる数字として示し示されるようになった。
— こたつぬこ (@sangituyama) 2016, 1月 10
そして国会の「議席数」もついに単なる数になった。それは政権の市民社会への支配の強さをあらわすものではなく、たんに多数の数をもっているというだけの、株価や支持率と同じたんなる尺度になってしまったのだ。
— こたつぬこ (@sangituyama) 2016, 1月 10
そうすると選挙も、株価の上げ下げや支持率の上げ下げと同じように、上げ下げする議席を更新する「だけ」の道具になり、とにかくいまは支持されているのだということを数字として示し、同意を取り付けるだけのためのメーターみたいな道具になってしまったのだ。
— こたつぬこ (@sangituyama) 2016, 1月 10
つまり選挙は「今日の株価はどうなった」とポチッと更新と同じようなものになった。選挙はもはや民意を掘り起こし支配を強化するための手段ではなく、数字確認のためにクリック更新するだけのものになった。そして株価と同じように頻繁に確認しないと不安だからやたら選挙やるんじゃないでしょうか
— こたつぬこ (@sangituyama) 2016, 1月 10