「良い学生が来ない」と悩む経営者は何を採用基準にすべきか|小宮一慶の週末経営塾|ダイヤモンド・オンライン
高度に複雑化したビジネスの世界で成功するためには、高い論理的思考力を持って、複雑な現象を複雑なまま取り入れ、複雑なまま理解する能力が求められます。
基礎力の高い社員は、商品企画・商品開発、あるいは、営業、経営の現場で、複雑系の本質を論理的に理解する能力を発揮し、顧客が求める商品やサービスに落とし込む困難な作業を遂行して完成にこぎつけるはずです。
基礎力が低い人は自分が分かる範囲で適当に割り切ってしまったり、勝手な判断で行動するため、顧客が求める商品やサービス水準に達しなかったり、行動力不足で完成を放棄するかもしれません。
基礎力が高くても採用して貰えたのは中央官庁とソロモン・ブラザーズだけだったと思う。
ソロモンのオペレーターは0コールで応答した。
さて、キング・オブ・ウォールストリートと呼ばれた米投資銀行ソロモン・ブラザーズを、主に1980年代に一気にその地位にまで育てた、当時のソロモン会長ジョン・グッドフレンドが9日に86歳で亡くなったとのこと。グッドフレンドは、コンピューターを多用するモーゲージ債や裁定取引をウォールストリートに導入し、資本を使って大きなリスクを取るトレーディング型のビジネスモデルをウォールストリートに定着させた立役者と云われています。1987年に私がソロモンに入社した時には、既にこれらのビジネスモデルやソロモンの地位は確立していたので、実際に誰がどのようにイノベーションを起こし貢献したのかは、はっきりは分かりませんが、新入社員から見てもグッドフレンドの威圧感は格段に大きいものでした。
当時ソロモンは、マンハッタン島の最南端にあるビルに入っていたのですが、その41階が、ウォールストリートで、いや世界で有名なソロモンの債券部のトレーディングフロアでした。42階はなく、2階分吹き抜けになっている大きな空間は、荒々しさと知恵が併存し、常に何か大きなことが起きている、世界のマーケットの縮図であり、世界の金融機関のトップに君臨する、エキサイティングな空間でした。その喧噪のど真ん中に、仕切るものも何もなくグッドフレンドの机がデンと置いてあり、彼はいつも葉巻をくゆらしながら足を組んで横向きに座り、ニヤニヤしながら電話をしていました。その存在感は強烈でした。グッドフレンドの前に、彼に背中を見せる形でトム・ストラウス社長の席があり、その左右と前方に、大きなトレーディングフロアが拡がっていました。私はこの空間で約1年間研修を受けました。
ジョン・グッドフレンド、ヘンリー・カウフマン、ポール・モーザー、そしてジョン・メリウェザー。そういった、ウォールストリートの伝説上のような人たちと同じ時と空間を共有し、学んだり、一緒に仕事出来たことを、私はとっても有り難く思っています。私の青春を賭けた場所であり、私の社会人人生の礎を作った場所でした。グッドバイ・ジョン。
マネックスグループ株式会社 松本 大氏 代表取締役社長CEO - 経営者・起業家インタビュー 第27回 | Goodfind
大学卒業後、外資系証券会社のソロモン・ブラザーズ・アジア証券に入社されておりますが、当時の東京大学の法学部だと官庁や法曹にいく学生が多かった中、なぜ外資企業を選ばれたのですか?
よく、「当時外資系企業を選ぶなんてリスクをとられましたね」と言われたりしますが、私としては「リスクを回避する」ために選んだのが外資系企業でした。銀行、商社、官庁などに行ったりすると上司に恵まれなかったり、コネクションがなかったら出世できなかったりするのではないかと思ったのです。自分の才能や努力ではコントロールできないリスクを一番避けたいと思いました。それに対して、外資系は実力主義でしたから、自分自身の実力で憂き目にあうなら、それは仕方がないと思えるのではと考えたのです。
そういったリスク感覚や実力主義への志向性はどこで身についたのでしょうか?
まず父親がそういった考えを強く持っていましたね。父から、批判精神を強く持ち、常に自分で考えて行動するように教育されました。
また、21歳のときに初めて海外に行きました。そのとき、一緒に行った友人のお母さんが私にただで航空券をくれました。友人の家は会社経営をしていて相当な資産家でした。今考えると航空券はたいした金額ではないのですが、それが大きな衝撃だったのです。 そもそも、それまでは、自分にはコネも資産もないから、あまり大それたことは考えずに「社会の中のある程度上質な歯車になれれば十分」と考えていました。父親よりも少しだけ優秀なサラリーマンになれれば良いと思っていました。それぐらいしか自分にはできないと勝手に思っていたのです。
でも、そのとき「コネやお金は自分が持つ必要はなく、自分が持っている得意分野の能力を伸ばして価値を提供することで、お金、コネは他の人が提供してくれるのだ」ということに気づいたのです。 これは私の人生において、とても重大な発想の転換でしたね。だから、官庁や大企業に魅力を感じなかったのです。コネや上司との相性といった実力とは関係ないところで勝負が決まる環境よりも、もっと自分の実力で勝負できる世界に行きたいと思ったのです。
今では、外資金融というと、特に高学歴の学生に人気になっています。仮に今もう一度、学生に戻ったとしたら、どんな就職先を選びますか?
まず、外資金融なんて絶対行かないでしょう。今時、率直にダサいですよ。私が就職をしたのは20年も前の話ですから。外資金融は一番の伸び時はもう終わっています。外資金融は、私が働いていたちょうど20年前〜10年前に伸び盛りでいろいろ勉強できた業界だったのです。その後の10年間は慣性で伸びているだけです。成功して盛り上がった後に相乗りしようなんて考えは、時代遅れだし、ダサいですよね。
ちなみに、私が東大にいるときに非常に残念に思ったのは、みんな小市民的発想だったことです。東大法学部なんていったら、「自分が日本をこう変えるのだ」とか本気で言えるような鼻持ちならない人間が多いのかと思っていたのですが、実際には、「どこに就職するべきか?」なんてつまらない話ばかりしていて、がっかりしました。
単純に今まで良かったからこれからも良いのではないかという程度の発想でキャリアを選ぶことは、自分の人生にとって非常に無責任なことだと思います。もっとしっかり自分の頭で考えた方が良いですよ。
松藤民輔(@tamimatsufuji) | Twitter
藤原直哉(@naoyafujiwara) | Twitter
http://d.hatena.ne.jp/d1021/20160310#1457606986(「意識高い系」はなぜ批判されるのか)
http://d.hatena.ne.jp/d1021/20160310#1457606987(ジェフ・ベゾス)
http://d.hatena.ne.jp/d1021/20160310#1457607002(ジョン・グッドフレンド)
http://d.hatena.ne.jp/d1021/20160309#1457520152(日本企業)
http://d.hatena.ne.jp/d1021/20160118#1453113400(「勉強ばかりしていた」と敬遠する企業すらある)
http://d.hatena.ne.jp/d1021/20151221#1450694395(「コミュ力だけ就活生」は、もう通用しない)
こうした学生生活における体育会系的な文化は日本の企業社会においても顕著である。日本の企業もやはり年功序列を基礎としているため、体育会系的な価値観の者は「礼儀正しい」、「強い精神力がある」、「目上の者を立てる」などの好印象を持たれることが多く、古くから企業の構成員として好まれ、採用されてきた。近年は“体育会系である”という要素がプラスに働く傾向が70年代〜80年代に比べて弱まってきているという見方がある一方、まだまだ体育会系学生は企業から根強い人気がある。
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