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「英語ができない人」の共通点は○○がわかっていないことだった 思考力と教育をめぐる対談【第1回】|あの人はなぜ、東大卒に勝てるのか|ダイヤモンド・オンライン

【斉藤】「優秀」の定義が違うんだと思いますね。日本の受験勉強って、基本的にはアジェンダが設定された中での競争ですから、「自らアジェンダをつくり出していく能力」は試されません。一方、米国の大学入試に必要な「論文やエッセイ」では、そういう力が問われています。


受験勉強に取り組むことで、ある意味、事務処理能力はつくのかもしれませんが、自分で仮説を設定し、検証していく力、つまり「アジェンダの設定力」は養われませんよね。


ビジネスの世界でも学問の世界でも、これから益々重要になっていくのはアジェンダ設定力、あるいはルールを設定する力です。それなのに、日本の受験勉強というのはそれを素通りしたところで点数を比べている。ここに限界があるのかなと思っています。


【津田】アジェンタの設定力ということでいえば、ハーバードのビジネススクールなんかでは、いわゆる座学のレクチャーというのがなくて、ケーススタディしかやらないと聞いたことがあります。「お勉強」ではなくて、考えさせる。


一方で、ハーバードですら「ケース」そのものは先生が用意してくれているわけで、純粋にゼロベースでアジェンダをつくっているわけではありませんが……。


【斉藤】そうなんですよ。津田さんが『あの人はなぜ、東大卒に勝てるのか』で繰り返し強調しているように、「クリエイティブであること」って「ゼロから何かつくること」と同じではないんだと思います。
人類の壮大な文明の長い流れの中で、ちょっと味付けを変えるだけで大きな付加価値を生み出す場合がある。ただ、その少しを変えるだけでも、ものすごく深く考える力が必要だということが、理解されていない。

イェール大学と日本の大学の違いとしていちばん印象的だったのが、イェールでは学生寮に作文チューター(学士課程の学生への学習助言や、教授の補佐を行う人。同じ学科の大学院生である場合が多い)が常駐していることでした。


現役の弁護士・作家・ジャーナリストなど、普段文章で戦っている人たちが、チューターとして直接学生を指導するわけです。日本の教育文化では、文章を丁寧に書き直していく作業の重要性が、日本語でも外国語でも、小中高大の全段階で過小評価されています。

【斉藤】アメリカのトップクラスの教育機関はたいていの場合、「作文教育がわが校の誇りだ」と自負しています。文章をつくる力、言葉を使って表現する力を培う努力を徹底しているわけです。


田舎の小さなリベラル・アーツ・カレッジ(小規模教養型大学)でも、夜12時まで開いているライティング・クリニックがあったりして、そこで学生たちがレポートを直してもらっています。


自分の頭の中にあるモヤーっとしたものを言葉にする。このための基礎的なトレーニングがなされていない点が、日本の教育の弱さだと思いますね。

【斉藤】おっしゃるとおりですね。最近の子どもを見ていると「意味論」レベル以前に「音韻論」レベルで、日本語をしっかりと習得できていない子がいます。


つまり、日本語をきちんと「音読」できないんですよ。

私は山形県酒田市の出身ですから、大学生として東京に出てきたとき、自分のマザータング(Mother Tongue:母語)である酒田弁と標準語の音のズレに敏感にならざるを得ませんでした。


東京で育った子たちは、日本語の発音を暗黙知として理解しているので、深く考えません。しかも、日本語が暗黙知のままになっているから、外国語を勉強したときにつまずくんですよ。
本当は、アナウンサーのように発音練習をやるべきかもしれませんね。


うちは英語塾なので、生徒にシャドーイング(耳で聞いた音をほぼ同時に発声していく語学習得法)課題を出します。
独自開発したアプリを使って彼らが音読練習をした映像・音声を提出させ、教師側がそのファイルを添削して返却するわけですが、これも発音の違いを明示的に理解してほしいからなんですよね。言葉の深層では「意味」と「音」って不可分ですからね。


【津田】そういう意味では、昔の尋常小学校でやっていたような素読って、非常にいいですよね。


【斉藤】そう思います。あとは写経ですね。他者の主張を理解するには何段階かありますが、「なぜこの人はこのような主張をするに至ったのか」までをすべて解体して咀嚼していく段階では、写経するように文章を読まなければなりません。それっておそらくビジネスの世界でも同じことだと思うんです。

【斉藤】津田さんの本の中にもツリー図がたくさん出てきますが、「抽象的に概念を構成していく作業」というのは外国語も母語も案外共通です。外国語で概念をつくる作業をすることで、日本語の作文力や論理構成力が上昇するとか、文章を書くことが億劫じゃなくなるんです。
たとえば、うちの塾で英語の論文指導をすると、生徒の国語の成績の方が先に伸びたりするんですよ。


【津田】それは面白い! たしかに本質は同じですよね。福沢諭吉が貴重な蘭和辞典を2回も書き写したという話がありますが、結局、日本語と外国語は境界線の入れ方が違うから、あくまでも「意訳」しかできないわけです。つまり、「近い言葉」をもってくる。でもそのためには、日本語の意味も外国語の意味も相当厳密に理解していないとできないわけです。

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