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「京セラ会計学」を生んだ経理部長との激論 2011年10月23日、二〇一一稲盛和夫経営哲学大連報告会講演|稲盛和夫経営講演選集(公開版) 「経営の父」が40年前に語っていたこと|ダイヤモンド・オンライン

 しかし、「会計」については何も知りません。初めて貸借対照表というものを見て、右手の貸方に「資本金」というお金があり、左手の借方にも「現金・預金」というお金がある。そこで「お金が二手にわかれて、両側にある」ぐらいに考えていたほどです。


 そんな私でありましたが、社員たちは、あらゆる事柄について、私に判断を仰いできます。また、京セラは生まれたばかりの零細企業でしたので、一つでも判断を間違えば、すぐに会社は傾いてしまうかもしれません。私は何を基準に判断すべきなのか、夜も眠れないほど悩んでいました。


 そして、経営の知識や経験はないのだから、すべての事柄について「人間として何が正しいのか」と問い、「正しいことを正しいままに貫いていく」ことを決心しました。


 自分にも理解できる、両親や学校の先生から幼いときに教わったプリミティブな倫理観に照らし、すべての物事を判断することにしたのです。そうすれば、経営の知識や経験がなくとも、そう誤った判断をすることはないだろうと考えたのです。


 そうして、いわゆる原理原則に基づいた判断基準を自分の中に確立し、振り返ってみると、経営の常識にとらわれることがなかったことが、むしろ幸いであったかと思います。と言いますのは、物事をその本質からとらえることができるようになったからです。


 「会計」についても同様でした。常に物事の本質に立ち返って考えるようにしていたので、会計上の案件について、納得できないことがあれば、すぐに経理の担当者から詳しく説明をしてもらうようにしました。


 しかし、私が知りたかったのは、会計や税務の教科書的な説明ではなく、会計の本質とそこに働く原理であったのですが、往々にして、経理の担当者からは、そのような回答を得ることができませんでした。


経理の専門家から「会計的にはこのようになる」と言われても、日々経営に呻吟する私にはどうしても腑に落ちず、「それはなぜか?」と、納得できるまで質問を重ねていきました。

 私が経営者として、「経営はいかにあるべきか」という立場から、会計について発言していることを理解し、経理マンとして、これまで考えたことがなかった、まさに経営のための会計という考え方を進んで汲み取ろうとするようになったのです。後に彼に聞くと、私の言っていることは、「会計の本質を突いている」ことに気づいたといいます。

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