採尿の際にお茶が混入したかどうか、が問題ではなく、尿ではなくお茶を入れたという被疑者の弁解に対して、そうではなく本人の尿が疑いなく採取されたかどうか、が問題なんだが。意図してこっそりすり替えました、という被疑者の弁解が排斥できるかどうかという問題。
— 落合洋司 Yoji Ochiai (@yjochi) 2016年12月20日
警察が、薬物事件ででっち上げるとすれば、やりやすいのは、薬物をこっそり忍ばせておき、所持で立件すること。使う薬物は、他の事件のガサの際に、ちょこちょこ抜いてストックしておく。採尿の際の細工は、特に家族等が見ていればかなりやりにくいと思うので、やるとすればそれだろう。
— 落合洋司 Yoji Ochiai (@yjochi) 2016年12月21日
http://d.hatena.ne.jp/d1021/20161225#1482662320(「若狭先生は巧くやってはる」)
#国家主義
ASKAさん不起訴 お茶入れたのは「思いつきであり、一瞬の大きな賭け」「見つかった時は『なんちゃって』と」ブログで説明 (産経新聞) - Yahoo!ニュース
ASKAさんは「尿とお茶」と題した投稿で「なぜ、僕が尿を提出せず、スポイトで吸い上げたお茶をさし出したのか?」と切り出した。「僕にとって、思いつきであり、一瞬の大きな賭けでした」とした上で、「もし、見つかった時には『なんちゃって』と、笑って見せ、素直に検査に応じようと考えました。どちらにしても、覚せい剤が検出されるわけはないのですから」と続けた。
ASKAさんは「だったら、堂々と尿を差し出せばよかったのに」と周囲から言わたとしても、「それは、結果論です」と断定。その背景として、警察の取り調べで答えたことと違う内容が発表されたとする体験をつづった。
【ASKA事件と憲法学者と階級闘争 - 山崎行太郎ブログ『毒蛇山荘日記』
宮根誠司は「ミスターサンデー」でも、ASKA事件を取り上げていた。ASKAが「お茶を入れた」と言うことの意味を、まだ理解できないらしい。
科捜研が、「お茶から覚せい剤が出た」ということは、警察や科捜研が、「覚せい剤を、お茶に混入した」ということだ。言い換えれば、警察や科捜研が、「覚せい剤事件を捏造した」ということだ。
その代わり、ASKAを、「覚せい剤犯罪者」に仕立てようとしている。つまり、テレビ番組は、警察や国家権力の暴走の「共犯者」であるということだ。警察や国家権力が逮捕していたASKAを、「嫌疑不十分」で、無罪釈放したという事は、警察や国家権力の方では、「覚せい剤事件を捏造した」ことを認めているということだ。
明らかに冤罪事件であるが、こういう時に、憲法学者や弁護士は、「国家権力の暴走」を徹底批判するものではないのか。しかし、何の反応もしていないようだ。憲法学者失格である。テレビ番組に出ているインチキ弁護士等が、権力の暴走の手先である「電波弁護士」であることは、分かりきっているが、安保法制批判で活躍した「憲法学者」はどうなのか。憲法学者も「ASKA犯人説」支持なのか。
http://d.hatena.ne.jp/d1021/20161219#1482144028(警視庁は、その後の捜査で液体が尿ともお茶とも断定できなかった)
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尊王心と愛国心とが一致しないと、尊王の実は挙がらないヨ。当世の尊王家たちには、ちと規模を大きくして貰ひたいものだ。人民を離れて尊王を説くのは、そもそも末だワイ。
— 勝海舟bot (@KatsuKaishuBot) 2016年12月26日