外国文学研究者という二義的な仕事をしていた研究者の蔵書が一次史料になるということ自体、その分野の研究が停滞していて、どうしようもない権威主義に支配されていることの証左だとしか思えない。
— 斉藤 淳 (@junsaito0529) 2017年4月30日
百歩譲っても、3次資料、4次資料で研究してメシが食える分野ってのはどうなんだろうなぁ。「蔵書の書き込み」が参考になって、それで研究業績になってしまうというのは、自分がいた業界とは全く違う論理で動いているということなんだろう。自分の貧困な想像力では全く理解できない。
— 斉藤 淳 (@junsaito0529) 2017年4月30日
#ポストモダン#リフレ
遠い将来にこの斎藤って人を研究する人は、おそらく出てこないでしょうね。
— ✨ hiro hirai (@microcosmos001) 2017年4月30日
古代ギリシアのホメロスの作品が現存のかたちで読めるのも、もとは古代末期のアレクサンドリアの学者たちが、先達の「メモ」とか「書き込み」を綿密に研究していたおかげです。そういうことに少しでも思いを馳せる「想像力」があれば、ありえない発言ですね。 #テクストの擁護者たち
— ✨ hiro hirai (@microcosmos001) 2017年4月30日
http://d.hatena.ne.jp/d1021/20170428#1493375699
http://d.hatena.ne.jp/d1021/20170428#1493375700