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仮にこの労働哲学の根幹を理解し、その優越性を学問の領域として順々に説くことができるような上司や先輩に恵まれていれば、自分の思想とは相いれないとしても、稀有な学びの場と認識して、切磋琢磨することに意義を見出していた可能性は高い。


だが、実際には、少し議論をしてみれば、すぐに底の浅さの馬脚を現してしまうような人が多く、逆にそのような議論をしたことで、普通以上に苛められたりつらく当たって来るようなケースが多かった。(逆にこの場で真剣に議論できた友人や先輩たちは、終生の友人になったし、忙しくて会えずとも今でも心から尊敬している)。


当時の私は、この環境にあって、『同調するふり』を学びはしたが、一方では、自分の浅学さを痛感して、歴史と哲学を基礎からもう一度じっくりと勉強した。そのため、この会社にある強固な思想の何が問題で、どうすればいいのか説明するための『言葉』を持つことができるようになった。何もない安楽な環境にいるより、自分の学びを深くすることができたのだと思う。


しかも、その後、海外商品企画や海外マーケティング、海外プロジェクト等の仕事にかわると、ここでの学びは大きく生きることになり、様々な価値観が混在する場(海外市場)での仕事を乗り切る基本が身についていることを実感することできた。

だが、ゲームのルールがあることを受け入れ、なお『勉強』し、ビジネスにも生かす道がありうることについて、私も長い時間をかけてだが、一定の納得できる境地があることがわかってきたように思う。もっとも、大学を卒業してからかなりの年月が流れたが、いまだに上で述べたような苦労は形を変えて何度でも襲ってくるし、他人からみると随分不器用な生き方をしているように見えるのではないかと思う。


それでも、自分にとっては、大学時代に『勉強』の大事さに気づくことができたのは、かけがえのない、何にも勝る出来事だったと思う。そのおかげで、環境がどうあれ、一貫して自分に納得のできる生き方をしてこれたと本当に思っている。

今の日本企業、あるいは日本の労働環境は、私の若いころとはまったく違っている。いわば革命前夜のようなものだ。日本企業の多くは昨今の例で言えば東芝のように、かつては盤石だったのが、今では崩壊寸前だ。

http://d.hatena.ne.jp/d1021/20170613#1497350186
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