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戒能通厚 - Wikipedia

コモン・ローの歴史、特にイングランド所有権法研究の第一人者である。ほかに、公法関係についての社会・経済・文化的背景にそくする研究、また最近ではアメリカにおけるコモン・ロー形成史など

(8)戒能氏のルーツを訪ねて

戒能通厚先生の講演

法律学の中では市民法と社会法という伝統的議論があります。 市民法とは何かというのは、1のところに書いたように、市民法とは資本主義法の出発点にある市民社会の法である。そのポイントは個人が自由・平等・独立の法的主体である。これでわれわれの言う現在の法律学の基本枠組みはできています。
これはヨーロッパ近代にできた法の基本的考え方であって、典型的にはフランス市民革命によって作られた理念です。フランス革命自体が生み出した法をCode civil des Francaisというナポレオン民法典で、これが市民法の一つのモデルである。民法典という名前ではありますが、これはむしろ社会の基本法という考え方でできている法であり、単に民法だけではないわけです。例えば日本国憲法14条1項の「人種、信条、性別、社会的または門地により、政治的、経済的または社会的関係において差別してはならない」等々、こういうものが基本的には市民法の基本原理であると考えているわけです。
そのような市民法が資本主義の一定の段階になりますと、これを修正する必要が出てくる。具体的には市民法の段階では人間というのはきわめて抽象的に、具体的存在を捨象されたかたちで自由・平等というふうに抽象的法主体としてとらえられているわけですが、資本主義社会 が高度化してきますと、そこに階級というものが明確に出てくる。
そこには明らかに、階級的な対立関係が出てくるということで、資本家や労働者、農民、中小企業者、失業者、貧困者、家主、借家人というように、具体的な社会における人々の存在形態に対応して市民法を修正していかなければ法は機能しないということから、それらを総称した社会法とわれわれは言ってきています。

戦後ご存じのとおり、アメリカ占領下において日本は日本国憲法体制というものができ、その下で財閥解体や農地改革などが行われ、それが法体系にも投影される。すると日本では2段階の法の継受というのがあり、明治期のもの戦後のものがあります。これをいったいどういうふうに理解するかという問題が法律学では問題になってくるわけです。これは法律学内部の問題だけではないので、それについて言及させていただきたいと思います。
このような法律学が対象とすべき法規範が基本的に輸入品であるということは、法律学にもある意味ではいろいろな影響を与えています。その一つは、これは学者だけではなく、裁判官の態度の中にもそういう傾向があるわけですが、規範というものにそれほど拘泥しない。これはドイツなどと比べますと、非常に大きな違いがあります。
ドイツでは非常に規範を重視します。「包摂主義」と書きましたが、代表的にはドイツにお いてサビニーという学者が登場してきます。これは歴史法学派の大立者ですが、もちろんサビ ニーは、当時のドイツにおいて民法典を作る。ドイツもその当時はまだ統一されておりません でしたので、ドイツを統一国家として誕生させるためにはばらばらの法をいかに統合するか。 そのとき基に使ったのがローマ法でした。
しかしローマ法をそのまま持ってきたのでは、ドイツ民族の基本的な精神が全部消えてしまうということで、有名な歴史法学派が登場してきて、ローマ法を抽象化していく。パンデクテンというのはギリシア語で、ユスティニアウス法典におけるディゲスタという学説集なのですが、それが都合よく非常に編別構成でできていたというので、それをドイツ民法典の骨格に使う。これがパンデクテンです。
実はこのパンデクテンが日本の民法に入ってくるわけです。したがって現在の日本の民法典という国家の基本法はドイツを経由してパンデクテンシステムでできている。ところがご存じのとおり、明治時代にはドイツの民法典の編纂事業と同時にボワソナードという学者がフランスのパリ大学から来て、日本民法の最初の法案を作ります。これを旧民法と言います。したがって日本の民法は、フランス法とドイツ法のミックスである。
ドイツでは先ほども言いましたが、サビニーを中心にした、非常に厳格な包摂主義的な考え方があるわけですが、そこにフランス法的な考え方が入ってきた。したがって解釈においても、 ドイツ法の影響、フランス法の影響は非常に濃厚に出てくるわけです。ここから法の解釈や裁判官の態度も非常に政策論的になってしまう傾向が出てきています。例えば非常に荒っぽく言 いますと、3ページの冒頭に書きましたように、法学においては、「正義」とは何かとか「正義の徹底的追求」とか、法的価値を追求するような、欧米にあるような法律学の伝統はきわめて希薄であると言わざるをえないと思います。
代表的には、法規などは重要ではないのであって、大事なのは当事者の利益調整であるということで、むしろまず法規を離れて、当事者間の利益を比較して、まず結論を決めて、それからあとで法規をそれに当てはめればいい。これは利益考量法学といいますが、これは現に判例などにも非常に大きく投影されています。
このような非常に政策主義的な、法の正義や価値論的なものが希薄の中に実は先ほど言いました社会法が少し違って出てきます。日本の労働法自体もかなりの部分がアメリカから入ってきたり、ドイツから入ってきたりしているわけです。日本では労働組合第二次世界大戦後に初めて出てきます。そういう意味では明治時代とは関係ないわけですから、明治の民法の原理をいかに修正するかというのが社会法ですので、そこに日本固有の労働法制の展開があったと思います。
いま法律学の面で、この進歩とは何かということとかかわって、非常に大きな問題になっているのは労働法、あるいは労働法に基づくさまざまな規制を、市場経済に対する外からの介入であることから、労働法的規制を外そうという圧力が非常に強いことです。

最後に市場と法のところにいかせていただきます。いわゆる新自由主義というのは、古典派経済学、特にアダム・スミスを基にしてできたと言われていますが、最近私の先輩の毛利健三さんという方が『古典派経済学の地平−理論・時代・背景』という、大変いい書物を書いておられます。
これは非常におもしろい本で、アダム・スミスが「あたかもネオ・リベラリズムやグローバリズムの始祖であるかのごとく言われているけれど、スミスに対するそういう評価はスミスの当時から存在していて、スミスはその市場原理主義的なものに利用されつつ、実はスミス自身はそれにちゃんと反論していた」ということを明らかにして、スミスを新自由主義の原典に使うのは非常におかしいということを言っています。
特におもしろいのは、有名なエドモンド・バークとスミスとの関係について、「バーク、スミス物語」というかたちで言っています。エドモンド・バークというのは、ご存じのとおりフランス革命に反対したピットという首相のブレーンで、非常に保守的な政治家です。バークは出身がアイルランド人で生物学にも非常に造詣が深い人でした。
バークは労働者を物言う商品である、商品としての取引物件であると言っています。スミスはこれに対して労働価値説を提起しているわけです。

スミスにはnatural libertiesという有名な自然的自由という考え方があるわけですが、この自然的自由というのは、世界の発展のためには、それぞれが持っている個性が十全に伸びるような仕組みを作り上げる必要があるということを言っていることになります。したがって、この自然的自由という観念から市場をとらえれば、市場原理主義的な考え方はまったく出てこないと言えることになると思います。

最後、結論にいきます。新たな法システムの模索というところです。このような状況の中で、 労働者、労働力をエドモンド・バークの場合は物言う商品だと言ったわけですが、スミスの場 合は「自由な労働による市場」、自然的自由という観点の中で市場ということを言っています。 特にご存じのとおり、スミスの場合、先ほどのself love、self interestのほかに『道徳感情論』 という本の中でsympathy、同感という理論を作り上げています。
「人の不幸か幸福かということで、人が幸福であるということを見ること、そのことはただ 見るだけのことであるが、しかしそれに優る喜びは人間にはないものである」と言っています。 つまりこれはスミスの同感理論で、別に助けてやるということではないですけれど、人が幸福であるということを見ることは喜びである。そういうことを理想的な社会とする。これは自然的自由の根幹的な理論です。
それが実はスミスから2世紀後に出てくるJSミルの中に非常に明確に出てきます。ミルは有名な哲学原理の中で、従属保護の理論、つまり労働者がいる、賃労働があるということは、資本と労働という関係になるのであって、そこには従属的な関係がある。したがってそれは理想社会ではない。いかにして従属関係をなくすかということを考えるかということを言っています。
彼はそこでアソシエーションという理論を展開すると同時に、ここで有名な「定常状態論」、 the stationary stateと言っています。これは非常に有名な議論なのですが、いろいろ批判のある議論です。彼はもうこれ以上豊かになる必要はない。つまり社会はこの段階、彼のビクトリア朝の、植民地を荒らしまくったイギリス帝国主義が絶頂期から崩壊に移る時期ですが、そのころからイギリスのアッパークラスの中には反資本主義という感情が非常に強く生まれてくるわけです。その影響もミルは受けて、その中からthe stationary stateという定常状態というものを理論化しようと努めます。
これは進歩主義とは何かにかかわる非常に重要な到達点ではないか。ここで言っている従属的労働保護の理論でない社会を作ろう。そして定常状態という社会です。先ほど言ったスミスへと継承される自己愛、自己利益が、市場原理主義者の言うような、まったく市場のみの、一切の規制がないというものではないということです。

http://d.hatena.ne.jp/d1021/20170703#1499078098(「法体系における私法の役割」)
http://d.hatena.ne.jp/d1021/20160822#1471862867
http://d.hatena.ne.jp/d1021/20160813#1471085085(労働価値説)

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