ナレーションは絵の添え物、アナウンスは文字にする情報の添え物である。それに対して朗読とは、本来、自立した表現なのである。声による表現のほか何にも頼りがないものだ。それが寂しいのか、わざわざ動作して見せたり、音楽をつけたり、衣装を着けてみせたりして、朗読を添え物にしてしまうわけだ。 https://t.co/SsS55PMbGI
— 渡辺知明 (@WATANABE_tomo) 2017年10月24日
多くの人たちが発声に関心を持つのはなぜか。話しことばの原点も歌の原点も発声にある。そもそも人が習慣的に出している声は惰性の声なのだ。これまでの社会習慣のなかで要求された常識的な発声にしたがったものだ。発声訓練とは、自らの本来の声の発見と探究なのである。渡辺知明著『声を鍛える』参照
— 渡辺知明 (@WATANABE_tomo) 2017年10月25日