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公開されたのは、湯川秀樹博士が太平洋戦争終結前後にあたる昭和20年に1年間かけて書き残した日記で、3冊、82ページにわたっています。


所蔵する京都大学基礎物理学研究所の湯川記念館史料室が初めて公開しました。当時38歳で京都帝国大学の教授を務めていた湯川博士が研究室での出来事や日々の生活などを簡潔な言葉で書き留めています。


このうち6月には「F研究第1回打ち合わせ会」と書き残されていますが、これは当時、戦局が厳しくなる中、海軍の依頼で京都帝国大学の物理学者が進めていた原爆の研究を意味していて、日記全体では「F研究」という言葉が3か所に記されていました。


また8月7日の日付には、「新聞などより広島の新型爆弾に関し、原子爆弾の解説を求められたが断る」と記され、終戦を迎えた8月15日には、朝に散髪をしたあと、正午からポツダム宣言受諾の玉音放送を聞いたことが記されていました。


親交のあった物理学者で、日記の整理を担当した慶応大学名誉教授の小沼通二さん(86)は「湯川博士は戦時中、国がすることに間違いはないと考えて協力していたが、戦後は絶対に戦争をしてはいけないと考えるようになった。ほかの資料と合わせると、湯川博士の心が変遷していく様子をうかがうことができる」と話しています。