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1980年代、中東のレバノンで、アメリカCIA=中央情報局のベイルート支局長ら7人のアメリカ人がイスラムシーア派組織に拘束され、結果的に2人が死亡、5人が解放された事件で、事件発生当時、影響力を持つイランとシリアに対し日本政府は特使を派遣して解放に向けた働きかけを行いました。


外務省が公開した外交文書では、1985年7月、軽井沢に滞在していた中曽根総理大臣にアメリカのレーガン大統領が直接かけてきた電話の概要が記録され、「大統領はベイルートで人質となっているアメリカ人7名について、日本側におかれても何かできればよろしくお願いする旨述べた」と記されています。


電話の翌日には中曽根総理大臣が外務省に対し「仮に成功しなくとも積極的な努力を行うことが対レーガン対策として意味がある。協力することは貿易摩擦を含む日米関係全般にとって極めて重要である」と、対策を講ずるよう指示する様子が記録されています。


政府は人質の解放に向けた働きかけについて当時、「人道上の配慮から日本独自の判断で行った」などと説明していましたが、実際にはアメリカの要請に基づいて行っていたことが裏付けられ、大統領の要望に応えることで日米関係の改善を意図していたことがうかがえます。


日本外交史を専門にしている北海道大学公共政策学研究センターの瀬川高央研究員は「当時アメリカは貿易赤字の解消や円安ドル高の是正を求めて日本に対し厳しい姿勢をとっており、中曽根総理大臣は、より強い要求が寄せられないよう人質解放への協力を対策の一つとしても捉えていたことが読み取れる」と話しています。

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