本当に仕事ができる人というのは、一見すると何も仕事をしていないように見えるのかもしれない。 ... - YET ANOTHER TRIVIAL TECHNOLOGIES
本当に仕事ができる人というのは、一見すると何も仕事をしていないように見えるのかもしれない。
できるほど透明になる
2つの世界の「橋渡し」をする仕事というのは、それが上手な人であればあるほど、その人の存在が透明になっていく。
「ああ」したいとか「こう」したいとか、医療者側があいまいな概念を放り投げても、上手な事務方は、それを行政に伝わるように言語化してしまう。あんまりスムーズだから、医事なんかいないように仕事がすすむ。
上手でない事務方が間に入ると、その人の「活躍」が、嫌でも目に入る。
一時期評判になった、病院再建のプロ。
あの人の「再建戦略というのは非常に簡単。とにかく急患を受け入れて、病院の窓口をきれいに改築して、職員の給料を引き下げて…といったもの。
どこの病院にいっても、やりかたはだいたい同じ。
現場は大混乱。
あいまいな概念を単純化して考えるとき、そこに情報の欠落が生じる。本来は不都合な欠落。ところが、依頼人に感覚される仕事の量というのは、たぶんこの欠落の大きさに比例する。
本当に上手な再建人がいるとしたら、その人が現場にはいっても、一見何も変わらないように見えるはず。再建人の考えかたは、ウィルスのように感染する。中の人も気がつかないうちに、現場の空気はだんだんと変わり、業績が上がる。そんなふうに「効果」が現れる。
現場はきっと、「その人がいなくても、自分達だけでも同じことがやれた」と錯覚する。
今流行の成果主義なんかは、こうした人の「凄さ」を発揮する場を奪い、組織内の空気がますます殺伐としたものになっていく。
http://d.hatena.ne.jp/d1021/20171220#1513767488
大学に移った時に、「大学教員として成果を出せるかは、膨大な事務を効率よくさばき、研究の時間を確保できるかにかかっている。だから、なけなしの資金で、まず秘書さんを雇用しなさい」と言ってくれた先生がいて、その通りにした。あれは金言だったなあ。
— 竹内健 (@kentakeuchi2003) 2017年12月28日
かつて自分を支援して下さった方々は、面倒な交渉や事務をやった上で、支援して下さったのだろう。そういう方々がそろそろ引退・退任・退官の時期になり、次は自分がやらなければいけないのだろう。お世話になった方々に恩返しはできない代わりに、次の世代へのお手伝い。まだ全然できてないけど。
— 竹内健 (@kentakeuchi2003) 2017年12月28日