「読書」とは何か。「本を読む」と言うが印刷された文字を見るのではない。文章を読むのである。文章は文から成り立つ。ばらばらの文字や単語を読むのではなく文にまとまった意味を読むのだ。文とは何か。主部・述部の構造を持つものだ。こんな簡単な基礎を考えない読書論が巷には溢れているのである。
— 渡辺知明 (@WATANABE_tomo) 2018年10月19日
何のための読書か? 読書そのものが目的のマニアックな読書論も多い。何が何でも読書せねばならぬと思い込んでいるのだ。あるいは、読書の意義が絶対化されているのだ。読書ばなれはその裏返しである。読書はあくまで過程である。何かを目指すから読書するのだ。読書の意味は常に問われねばならぬ。
— 渡辺知明 (@WATANABE_tomo) 2018年10月19日
自分の好みの書物について、これはいいと語る読書論は多い。だが、この本は悪いと徹底的に批判する読書論もほしい。じつは、いいものをいいとほめることよりも、悪いものを悪いと批判することのほうがはるかに豊かな批評なのである。なぜなら、何をよしとするかまで批判の中に含めざるを得ないからだ。
— 渡辺知明 (@WATANABE_tomo) 2018年10月19日