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https://d1021.hatenadiary.jp/entry/2018/10/30/200218(「徴用工」訴訟 新日鉄住金に損害賠償命じる判決 韓国最高裁

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1973年、日韓基本条約に伴う対日請求権資金などによる資本導入で朴正煕大統領の肝いりで京釜高速道路と共に設立され、八幡製鐵富士製鐵(後に新日本製鐵),日本鋼管の技術供与で急速に発展して、設立当時1人あたりの国民所得が200ドル程度だった韓国の経済発展に大きく貢献した。

1968年4月に浦項製鉄の建設に着工。しかし、1969年2月の建設途中に世界銀行アメリカなどが「韓国はまだ時期尚早」だと資金撤回。朴泰俊会長は側近に「会社の清算計画」を準備しておくよう極秘の指示を出すなど計画破綻危機に陥る。しかし、1973年に日韓基本条約に伴う対日請求権資金などによる日本の資金5億ドル(無償3億ドル、有償2億ドル)の内、資金全体の23.9%の約1億1950万ドルを投入し、慶尚北道浦項市に国営の浦項総合製鉄所第一期設備を建設された。浦項製鉄所は韓国の基幹産業を軽工業から重化学工業へ転換させた。また、この際に八幡製鐵及び富士製鐵(両社は1970年に合併し新日本製鐵となった後、現在は新日鐵住金)と日本鋼管(現・JFEスチール)の3社からの技術導入を受けた(後述)。技術導入後、ベトナム戦争への参戦を契機とした急激な経済成長の中で、日本の援助により3回に亘る拡張事業の末、1983年、粗鋼生産能力910万トン規模の浦項製鉄所を完成させた。

https://d1021.hatenadiary.jp/entry/20170805/1501929446安岡正篤といえば、戦後日本を導いた人物として知る人は知る偉大な人物なのである。「歴代首相のご意見番」、「政財界の指南役」として政財界に強い影響力を持つ人物であった。日本の政治だけでなく、韓国問題に深く関わり、多大な貢献をしたにも拘わらず、安岡正篤と韓国との関係についてはそれほど知られていない。安岡正篤が日韓国交正常化、浦項綜合製鉄の建設、それから日本における退渓学研究の普及などに大きな役割をしたことを知っている人は意外に少ない。朴正熙政権の近代化の最重点事業であった浦項綜合製鉄の建設は安岡正篤の協力がなければ不可能であったと言っても過言ではない。 / 八幡製鉄社長稲山嘉寛を訪ねた。「安岡先生から話を聞いています。色々なルートを通じ、韓国側の接触の試みがありました。純粋に実務的に見る場合、いま日本が韓国に製鉄所建設のための技術と資金を提供するということは不当千万な話です。100%不合理な話です。ところが安岡先生の意見は違います。高い次元での国益を考えて、さらに上の次元で両国の将来を考えます。私たち実業家たちは先生の意向を無視できないのです。そのような理由から、今日お二人の話を聞くことにしました」)

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