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25日に行われたプロ野球のドラフト会議で4球団競合の末、中日ドラゴンズが交渉権を獲得した大阪桐蔭高校の根尾昴選手。
彼は野球一筋、他のことには目もくれず、突っ走ってきたわけではない。実は読書家の一面もあるというのだ。その愛読書の一つは、“日本実業界の父”と呼ばれる渋沢栄一の著書『論語と算盤』だ。

論語と算盤」を読んでいる選手が他にもいるか尋ねると「いるんですね。大谷翔平選手です。ただ、平成生まれの野球選手がなんで『論語と算盤』なんて関心があるんだという感じじゃないですか」と、渋沢さんも驚きを隠せずにいた。

根尾選手と大谷選手。
投手、そして打者として活躍する2人の“二刀流”が愛読する「論語と算盤」。
渋沢健氏は、この本の野球への影響についてこう分析した。

論語って結構難しいなと思うのは、ルールじゃなくて自分が何をすべきかということなので、自分で考えて自分で行動しなさい、自分で自己責任を持ちなさいということなので、(根尾選手は)常にそういう重いベクトルをたてている若者なんじゃないかな」

中学生の時には、生徒会長もつとめ、成績もトップクラス。

https://d1021.hatenadiary.jp/entry/2018/10/29/200120(燕雀安んぞ鴻鵠の志を知らんや。)
https://d1021.hatenadiary.jp/entry/2018/10/27/200030(ロッテ1位の大阪桐蔭・藤原恭大)
https://d1021.hatenadiary.jp/entry/2018/10/24/200000竹内由恵
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https://d1021.hatenadiary.jp/entry/20071222/1198291365(「勉強して自分のことを整斉してゆく(自己啓発する)ほど世の中におもしろいことはない。私は働くことが何よりの楽しみだ。働いてゆくうちに楽しみの糟ができる。これが世の中の金銀財宝であるが、私は身後に残る糟粕は意とするところでない」)

「宮本武蔵」吉川英治

 私は、武蔵が京の吉野太夫の屋敷に招かれて、しばらく滞在する箇所が好きだ。
太夫に琵琶をたとえに、武蔵が張り詰めた弦のような生きる姿勢をたしなめられるくだりだ。
琵琶をたたきわって、内部を見せて、琵琶にはたわみがある。
そのたわみが幽玄の音色をかもし出す、というような内容だったように思う。

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「お訊ねしたのが愚かでした。終始何ものかへ、張り緊めていたあなたのお耳には、あの一曲のうちに奏でられた複雑かな音の種々も、恐らくお聴き分けはなかったかも知れませぬ」
「いや、聴いていた。それほど、うつつにはおらぬ」
「では、あの――大絃、中絃、清絃、遊絃のわずか四つしかない絃から、どうしてあのように強い調子や、緩やかな調子や、種々な音色が、自由自在に鳴り出るのでしょうか。そこまでお聴き分けなさいましたか」
「要らぬことであろう。拙者はただ、そなたの語る平曲の熊野を聴いていただけのこと、それ以上なにを聴こう」
「仰せの通りです。それでよいのでございますが、わたくしは今ここで琵琶を一箇の人間として喩えてみたいのでございます。――で、ざっとお考えなされても、わずか四つの絃と板の胴とから、あのように数多い音が鳴り出るというのは、不思議なことでございませぬか。その千変万化の音階を、譜の名で申し上げるよりも、あなたもご存じでございましょう、白楽天の『琵琶行』という詩のうちに、琵琶の音いろがよく形容されてありました。――それは」

https://d1021.hatenadiary.jp/entry/2018/10/27/200115(神秀上座は善悪の葛藤を照見して、不断の除悪に人生の真諦を認めています。かつその偈がまだ心の直接の表現ではなくて、擬物に拘泥している点が著しい。人生の真相を善悪の葛藤に観て、悪を排して善を発揮して行こうとするのはいかにも結構な事である。結構は結構であるが(美則美矣)、まだ了悟したとは言えない。彼はまだその善悪なるものを解決していない。真性を徹見していない。)

ヤッシャ・ハイフェッツ - Wikipedia

ボウイングの特徴として弓速が速く脱力しているが、弓の返しは等速で常に緻密である。 右手の人差し指をPIP関節(第2関節)より深く弓に当てるアウアー(ロシア派)のボウイングを基本とする。緩やかなボウイングの細部に到る丁寧さを持ち、また一方、技巧的なダウンスタッカートなどを自在に操る。

https://d1021.hatenadiary.jp/entry/20160921/1474454120ホロヴィッツハイフェッツ

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 「童心残筆」という書物のあとがきに新井正明氏のこのような記述がある。
この本の出版祝いに際して、吉川英治はある書簡にこう書いている。
「赤坂の桔梗と申す家の炉部屋を借り申し候て客をいたし候、当夜の客は金雉学院の安岡正篤氏、元東京府知事…、酌人は牡丹の花と申しても劣りなき赤坂の美妓に候、丹炎誠に美しく、微薫ある煙も、牡丹なる故にや苦になり申さず候、安岡氏の言葉にて暫く灯火を滅し、炉明かりのみにて暫時を雑談に忘れ申し候。…」

 どこかで見た光景ではなかろうか。
 そう、宮本武蔵第3巻「牡丹を焚く」で、吉岡伝七郎三十三間堂で倒した後、遊郭、扇屋で本阿弥光悦吉野太夫と牡丹の木をくべて談笑するあの場面そっくりなのだ。
 さらに、書簡は、昭和11年1月付けとあるので、吉川が武蔵を書いていた時期とぴったり一致する。

 当時、吉川英治は44才、招かれた安岡正篤はまだ39才の新進気鋭の教育家であり、
陽明学・東洋思想の著作で既に高名を成していた。
 先の「童心残筆」は安岡の若い頃の随筆を集めたもので、驚くことにこの本の装丁を吉川英治自身が行っているのだ。

 いずれにせよ、日本の戦前・戦中・戦後をつうじて代表的な精神的指導者であった
中村天風」師が「鞍馬天狗」、「安岡正篤」師が「宮本武蔵」というヒーローのモデルだったとは、二大哲人が急に身近に感ぜられて実に愉快なことではないだろうか。

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遅れて訪れた吉川英治氏はそれを聴いて、其の日はそのまま帰られたが、数日後同氏から電話で、岳城さん先夜の琵琶の話は貰ったよとの事でした。

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ビューティフル・ドリーマー』ですね。

吉川英治の『宮本武蔵』の中の一節です。。
「大事をなす者の心の奥底は、周りの者にはうかがい知ることが出来ないものだ。」
といった意味でしょう。