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宮内庁が「仁徳天皇陵」として管理している古墳は大阪 堺市にある国内最大の前方後円墳で、古墳がある場所の地名や古文書の表記から「大山古墳」や「大仙陵古墳」などとも呼ばれています。

5世紀に造られたと考えられ、鍵穴の形をした墳丘の長さは486メートル、周囲を3重に取り囲む濠を含めた面積はおよそ47万平方メートルで、甲子園球場12個分の広さです。

古墳を造るには1日に2000人が働いても15年以上かかったという試算もあります。

周辺には多くの古墳があり「百舌鳥・古市古墳群」として、国はユネスコ世界文化遺産への登録を目指しています。

今回の共同調査は、鍵穴の形をした墳丘を3重に取り囲む濠と濠の間にある2つの堤のうち、「第1堤」と呼ばれる内側の堤で行われています。

堤の南東部の3か所に、幅2メートル、長さ28メートルから31メートルの調査用の穴が掘られました。

その結果、調査用の穴の3か所すべてで、堤の外側の濠に沿うように埴輪が一列に並べられた様子が確認されました。

埴輪は直径35センチほどの円筒埴輪などで、宮内庁は堤を一周する埴輪の列があったと見ています。聖なる世界と外の世界を分けることや神聖な部分を守る目的で、埴輪が並べられていたのではないかということです。

今回の調査では、このほかにも朝顔の形をした埴輪の破片などが見つかりましたが、宮内庁はいずれも古墳が造られた当時のものと見て、築造年代などについて従来の見解を大きく変えるような状況は確認されていないとしています。

天皇や皇后、皇族が埋葬されているとして、宮内庁が管理している陵墓は「静安と尊厳を保つ必要がある」として、外部の研究者などの立ち入りが厳しく制限されています。

これに対して、歴史学や考古学の研究者の団体は、陵墓が持つ文化財としての価値を訴えて公開を求め、平成20年からは年に1か所から2か所、研究者の立ち入りが行われるようになりましたが、土器などの採集や測量は認められていません。

今回の「仁徳天皇陵」での調査は、濠の水の影響で浸食が進む墳丘の保全が目的で、宮内庁は調査の質を高めるため、初めて地元・堺市との共同調査に踏み切りました。

付近の古墳などでの調査経験が豊富な堺市学芸員1人が、連日現場に入りました。宮内庁の徳田誠志陵墓調査官は「出土した石が地元のものかどうかなど、具体的な意見をその場でもらっている。現場の調査だけでなく、今後の報告書の作成を含めて地元の協力を得られる意義は大きい」と話し、今後も堺市と共同で堤の調査を続けたい考えを示しています。