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「交渉の3日後の11月15日、解決金が振り込まれました。409万3000円を一括でした」

気になる振込人の名義は、なぜか「ベンゴシ ウエシバ」となっていたという。

〈Aと小室佳代は、平成29年12月以降に週刊誌その他の各種メディア媒体において両名の過去の関係等が取り上げられている件(いわゆる「金銭トラブル」あるいは「借金問題」と言われている事柄を指します。以下「本件」といいます。)について、本日、本件及び本件を巡る問題についてすべて最終解決としたことを相互に確認します。また、Aは本件の解決金として金409万3000円を受け取ります〉

「返ってきたおカネはどうするかはまだ決めていません。余裕のある暮らしをしているわけではありませんので、生活費の足しにするか、あちこちガタがきている実家の修繕に使うかもしれません。いずれにせよおカネが返ってきたことは嬉しく思っています。ただ、交渉では互いに本音で話せたとは言えず、先方から謝罪のような言葉もありませんでした。私が場を和ませようと『ニューヨークではどのあたりに住む予定なの?』と聞くと、彼は『私は私人です』と答えていました。詮索してほしくないということだったのでしょうが、胸のつかえのようなものは残っています」

「交渉では先方から『確認書』を提示されました。事前の予定では、一度書面は持ち帰ろうと考えていたのです。しかし、私はその場でサインをすることにしました。交渉に同席した私の代理人からは『Aさん、本当に(サインをして)いいの?』と言われましたが、私は諦(あきら)めのような気持ちを覚えながら、確認書に署名をしました。お金は返ってくることになりましたが、ただ徒労感が残りました」

「交渉が始まってすぐ、先方の代理人である上芝直史(なおし)弁護士が『確約書』という書面を交わすことを求めてきました。私はその内容に納得ができず、交渉が一時ストップしてしまったのです」

〈甲(甲の代理人を含む。)と乙は、この確約書の存在及び内容、本件協議の存在及び内容その他本件に関する事柄について、本件協議の継続中はもちろん協議終了後も一切口外せず秘匿することを相互に確約する(本件が最終解決をしたか否かを問わない。)〉

「つまりこの書面にサインした時点で、たとえ先方が急に交渉を取りやめたり、私との約束を反故(ほご)にしたりしても、私はそれをどこかのメディアに話すこともできなくなる。向こうは、とにかく私を何も喋れないような状態にしたいだけなのではないかと疑念を持ったのです」

そこから話し合いを持つことはあったものの、A氏は「とても対等な話し合いと呼べるものではなかった」と振り返る。先方の代理人から佳代さんに渡したお金の日付や経緯を聞かれ、それにA氏が答えると、「時期が違う」「内容が合わない」などと追及された。

A氏は交渉があまりに長引いていることへの徒労感、そして二人の結婚にとって自身が障害となっていることへの罪悪感を抱いていた。そして、’20年11月に『週刊現代』の取材に答え「もう400万円の返金は求めない」と語った。だが、今年4月、小室さんは28ページにわたる「小室文書」を発表。それが世間の猛反発を受けると、一転して「『解決金』を支払う準備がある」と表明したのだ。A氏は小室家側の態度に不信感を持ちながらも、再び交渉のテーブルにつくことを決めた。

9月末に小室さんが帰国すると、急展開を迎える。A氏は一貫して「金銭トラブルの交渉相手は佳代さん」と主張してきた。だが、先方から佳代さんの体調不良を理由に、小室さんによる「直接交渉」の打診があったのだ。A氏もそれを受け入れ、具体的な日程の調整に入った。

この間、A氏は8月上旬、そして10月中旬に佳代さんと小室さんに宛てて手紙を出していた。

「先方の代理人がどこまで私の話を本人たちに伝えているか不透明だったのです。なので、私の率直な気持ちを伝えるために二人に手紙を書いたのですが、返事などはまったくありませんでした」

10月下旬から11月上旬にかけて、小室家側が日程を提示しては、それをキャンセルするということが繰り返された。しかし、渡米を間近に控えた小室さんには時間が残されていない。そうして小室家側が提示した日付が「11月12日」だった。

「日取りが決まったのも直前でしたが、さらに難航したのが場所についてです。こちらは都内のホテルの会議室などを提案したのですが、先方から『ホテルは避けたい』とのことで、断られました。結局、交渉前日に先方の希望である上芝弁護士の事務所で行うことに決まりました。交渉の人数も、私と圭君の2名か、それとも互いの代理人を含めた4名にするか、ギリギリまで決まりませんでした」

先方の代理人からは、事前にメールで交渉で交わす予定の合意文書の雛形が送られてきた。しかし、そこには「(合意文書は)数パターン用意しておきます」と記されていたという。前述した確約書の件があったため、A氏は自身の代理人と「交渉で書面を受け取り、一度持ち帰ろう」と決めた。そうして、交渉に臨んだ。

「交渉で彼は『悲しい』と繰り返していました。『母と一方的に婚約破棄をしたこと、そしてさまざまなことを週刊誌に暴露したのは大変悲しいです』と言うのです。何度もお伝えしている通り、私が佳代さんとの婚約を解消したのは、度重なるお金の無心に耐えられなくなったのが原因です。その借金をなかったことにされている状況に納得ができなかったので、メディアの方々に自分の周りで起きた事実を語ったのです。

ただ、交渉の間ずっと彼は悲しそうな、うらめしそうな表情をしていました。私にとって彼は一時、実の子供のような存在でした。そんな彼から『悲しい』と言われ、思わず『申し訳なかった』と謝ってしまった」

「確認書にも以前のように、何か条件がついてくるのではと思っていたのですが、予想は外れました。秘密保持契約のような条項もありませんでした。私は交渉で彼ともう少し打ち解けた状態で、互いに労(いたわ)りの言葉をかけ合えたらと思っていました。しかし、実際にはそのような状態にならなかった。交渉の最中、私が『ニューヨークではどのあたりに住むの?』と聞いたのです。

少しでも場が和(なご)めばと思ったのですが、彼は『私は私人(しじん)です』と言った。詮索(せんさく)しないで欲しいということでしょうが、取り付くシマもないと思いました。ただ、私ももうこれ以上この問題に囚(とら)われたくありませんでした。それで、当初の予定を変更し、その場で確認書にサインしたのです」

「返ってきたお金をどうするかはまだ決めていません。余裕のある暮らしをしているわけではありませんので、生活費の足しにするか、あちこちガタがきている実家の修繕に使うかもしれません。いずれにせよお金が返ってきたことは嬉しく思っています。ただ、胸のつかえのようなものは残っています」

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何しろ、皇族は日本で最高位の権力者です。それは、世界一の権力者でもあるのです。A宮家には、その権力を持っているという自覚がないのです。

 自覚がないわけです。ニセ皇族だから、女にお金を使ったり、1億円~2億円のドレスを買ったり、とんでもないニセ皇族です。

 この問題を整理すると、また次の問題が出てくるのです。これは、魅痴子さんに原因があります。

何故、この問題を上皇は、ほっておくのでしょうか? 明石さんは、「このままでは、皇室が滅びますよ」と進言されたのです。

 この問題はそこにいってしまうのです。A宮をつくったのは魅痴子さんで、魅痴子さんを許したのは上皇です。そうなってしまうのです。この問題は、あまり深入りをしないほうがよいと思いますから、A宮から斬ればよいのです。

 A宮家を廃絶に追い込まなければいけません。A宮を皇嗣にするなど、とんでもありません。A宮家は廃止にして平民に戻せばよいのです。そうすれば、天皇までこの問題はたどり着きません。

 この問題をほっておくと、上皇まで行ってしまうのです。それは、そうです。A宮をつくったのは魅痴子さんです。魅痴子を泳がせたのは上皇です。魅痴子さんが悪ければ上皇も悪いとなってしまいます。明石さんはそのことを言ったのです。すると上皇は怒って口もきかないと言うのです。どうしようもなりません。

このままA宮家をほっておくと「皇室はいらない」という国民の声が大きくなってしまいます。もう言いだしている人が大勢いるのです。「なんだ、こんな皇室ならばいらないよ」と誰でも言うと思います。皇室の権力だけふりまわして、ウソをつき、皇族に忖度ばかりさせていたら、「こんな皇室はいらない!」と国民は言うでしょう。

 今の状態がそうです。平民の魔子に一個小隊の警備がついているというのです。魔子の警備など解除すればよいのです。無職の乞食男と好きで結婚して、平民になったのです。では、警備などつける必要はありません。

 平民になって自由に行動したいのならば、自由に行動すればよいのです。その結果、どのような結果が待っているのでしょうか? それも自由です。自由にやればよいのです。そのような目に遭いたくなければ、無職の乞食男とは結婚してはいけません。皇族の身分で皇居にいれば誰も襲ってこられません。そのように考えていかなければいけません。

 いずれにしても、これは2800年の皇統の歴史の中で、前代未聞の大事件です。

世界文化遺産の1つで「仁徳天皇陵」として管理されている大阪 堺市にある国内最大の前方後円墳で、宮内庁などが行う調査の様子が報道機関に公開され、多数の埴輪の破片などが見つかったことが報告されました。

宮内庁は「仁徳天皇陵」として管理する大山古墳の保全に向けた工事計画を策定するため、埋蔵されている貴重な史料を確認するための調査を先月から堺市と進めています。

19日はその様子が報道機関に公開され、古墳の最も内側の第1堤の10か所で、縦2メートル、横は最大で13.5メートルの調査区域を設け、30センチほど掘り起こして行った調査の結果が示されました。

今回の調査では、堤の内側で円筒埴輪などの破片が見つかったということで、3年前に初めて行った調査で堤の外側からも同様の発見があったことから、宮内庁は、堤の内外両側に埴輪が並べられていた可能性があるとしています。

また、木製の埴輪が立っていたと推測される穴や、こぶしほどの大きさの石を敷き詰めた石敷きも見つかりました。

宮内庁の徳田誠志調査官は「人が入っていない状況で、長い間、地域の人が守ってきたことがわかる。墳丘も含めて仁徳天皇陵全体の保全を今後も考えていきたい」と話していました。

調査は来月上旬までで、堺市は史料の一部を博物館などで公開することを検討しています。

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#天皇家

 莫大な収入の使い道の一つが不動産だった。

「都心の一等地に事務所や大豪邸を建て、京都には別荘のほか、70億円かけて寺院を建立したという報道もありました」(同前)

 そんな華やかな世界に身を置き続けた“女帝”だが、終の棲家に選んだのは意外な場所だった。細木さんを知る芸能関係者が語る。

「2018年に東京と埼玉の県境に事務所名義でマンションを購入しました。決して著名人が住むような高級エリアではなく、物件自体も億ションとはほど遠い庶民的なもの。都心のもうひとつの邸宅や京都の別荘で過ごすこともあったようですが、“不動産王”としての顔を併せ持つ細木さんが最後に購入したのがこんなにも質素な物件だったことは意外に感じました」

 細木さんの事務所は「マンションを購入した事実はありません」と回答したものの、購入当時、本誌がマンション住人を取材すると、細木さんとスタッフの出入りする姿が目撃されており、「まさかここにあの細木さんが住んでいるなんて……」と口を揃えて驚いていた。

「80歳を超えて体力も衰え、騒がしい都心のど真ん中ではなく、静かな地で過ごしたいという意向もあったのではないでしょうか。あるいは晩年の姿を周囲に見せたくなかったのかもしれません」(前出・スポーツ紙記者)

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