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「皇太子さまは昨年10月、雅子さまと京都を訪問されていたのですが、醍醐寺にはご公務の合間を縫って、皇太子さまがおひとりでお出でになったのです」


皇太子さまが宸翰をどうしてもご覧になりたかったのはなぜだろうか。


後奈良天皇は戦国時代に在位し、飢饉や疫病に苦しむ人々を心配して、般若心経を写経しました。醍醐寺に所蔵されている写経には《私は民の父母として、徳を行き渡らせることができず、心を痛めている》という意味の言葉が記されています。まさに皇太子さまのお名前は“徳仁”です。きっと般若心経の言葉を自らの目で確かめることで、常に国民のために祈る“天皇のあるべき姿”をしっかりと確認されたかったのでしょう」

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