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光格天皇が近代日本における天皇像の祖型をつくったとすれば、今上天皇は自分は平和国家日本における「象徴」としての天皇の在り方を、即位して以来ずっと模索してきた。ただ存在するだけではなく、「日本国民統合の象徴」としてどのように行動し、どう振る舞うのか、そして何を語るべきか。憲法皇室典範から逸脱しない範囲の中で、ご自分で考えぬいて、一つひとつ積み上げてきた。そして国民に敬まれ親しまれる象徴天皇像をつくりあげてきた。そして、このかたちを残したい。それを皇太子と皇太子妃にしっかり受け継いでもらいたい。それが生前退位の意思を示された本意、本質なのではないか。


29年におよぶ平成の御世を振り返ってみると、天皇日本国憲法に沿いながらも、時代にふさわしい新しい天皇像をつくろうとする努力の跡がつぶさに見てとれます。国務をきちんと行いながら、そのいっぽうで被災地の慰問や太平洋戦争激戦地への慰霊の旅といった新しい公務は、昭和天皇の時代よりも広く、かつ数多く行われて来ました。とりわけ太平洋戦争の激戦地への訪問は、陛下ご自身による強いご希望で行われているように思います。

戦争に負けた年の九月四日。昭和天皇が国民に向けて所感を発表しました。

「朕は終戦に伴う幾多の艱苦を克服し、国体の精華を発揮して、信義を世界に布き、平和国家を確立して、人類の文化に寄与せんことをこいねがい、日夜軫念(しんねん)措かず、この大業を成就せんと欲せば」

翌年、昭和21年の書き初めで、皇太子が書いた言葉は「平和国家建設」。

衆議院第88回本会議(開院式勅語) 帝国議会会議録検索システム

http://d.hatena.ne.jp/d1021/20180322#1521715100(「過日天皇陛下には総理以下重臣を召されて、異例のお言葉を賜った」)

光格天皇 - Wikipedia

http://d.hatena.ne.jp/d1021/20180322#1521715093
http://d.hatena.ne.jp/d1021/20180320#1521542631
http://d.hatena.ne.jp/d1021/20180319#1521456010