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第274回 手続的正義|塾長雑感

 物事を意思決定するための手続きは、そこで何を決めるのか、という問題よりも先に確立しておかなければならない問題です。なぜなら、そこで決めること、例えば政策などは、それが正しいか誤っているかはその時点で判断できないからです。何が正しいのかは歴史が後で評価すべきことなのであり、もし、その時点で絶対的、客観的に正しいということが分かるのであれば、民主主義などの面倒な手続きはいりません。その「正しい」ことに従えばいいだけです。

もちろん、国民の代表者たる政治家が一時的には政策決定します。しかし、その一時的な意思決定が正しかったかどうか、後に国民が吟味して検証し、間違っていたら是正させる、あるいは議員を交代させることによって国民の意思に従わせるというプロセスが民主主義です。したがって選挙の過程で、正しい情報が国民に知らされることが主権者国民にとっては決定的に重要です。選挙は正しい情報を主権者が得ることで初めて意味を持ちます。

米国連邦憲法の起草者の一人であるジェームズ・マディソンがこんなことをいっています。「人民が情報を持たず、情報を入手する手段を持たない人民の政府は、喜劇への序章か悲劇への序章に過ぎない。」「知識を持つ者が持たない者を永久に支配する。自らの支配者であらんとする人民は、知識が与える力で自らを武装しなければならない」。

残念ながら日本では、手続きの重要性は浸透していません。刑事裁判でもそうです。例えば真犯人なら自白を強要してもいい、といった風潮があります。テレビの刑事ドラマを見るとわかります。否認していた被疑者にひどい言葉を浴びせながらも自白を引出したりすると「名刑事だ」と評価されたりします。日本では、刑事手続のプロセスの重要性が理解されていないことを示しています。

http://d.hatena.ne.jp/d1021/20180531#1527764056(審査基準論のように、厳格度の違いの定式があれば、該当する定式に従った判断がなされているかどうかを判決理由から検討しうる。もちろん、定式に該当しているかどうかの判断は個々人により異なりうるが、定式の適用の違いが生じているかが分かるから、透明性が高まるのである。比例原則の場合は、定式がないので、その分透明性に欠けることになる。)

http://d.hatena.ne.jp/d1021/20180311#1520766256(文書主義)