北朝の明治天皇が南朝正統と勅裁したのは南北朝問題を血統ではなく国体論的法制史に限定するため。南朝正統論は両朝分立期においては南朝が正統というだけのことで、両朝合一後は北朝が正統。『大日本史』は南朝が三種の神器を「天」に返して、それが後小松天皇に渡ったというふうに接続させた。 https://t.co/PzubEyd5e0
— 武田崇元 (@sugen_takeda) 2018年7月12日
仮に明治天皇が北朝正統と勅裁すれば、法制史の問題がたちまち生物学的血統問題に転化し、それこそ世に落ちている南朝末裔を擁立しようという論理が革命的現実的意味を帯びかねなかった。その意味で睦仁は右往左往する臣下よりは政治的センスがあったと言える。
— 武田崇元 (@sugen_takeda) 2018年7月12日